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アーティスト・真鍋大度「ぼくの、こう育てられた。」

子供の頃の育てられ方がクリエイティビティをどう育んだのか。アーティスト・真鍋大度さんが幼き思い出を語ってくれた。

Photo: Patrick Tsai / Text: Keiko Kamijo

音楽とゲームとプログラミング。
好きな分野を伸ばせる環境。

ジャズベーシストの父とキーボーディストで後に楽器メーカーに勤めていた母。そんな両親だったので、家にはいろんな種類の楽器や録音機材がゴロゴロ転がっていて、小さな頃から遊び道具といえば楽器でした。ピアノも小学校1年から習っていました。

でも実は先生についてから楽器を演奏するのはそんなに好きじゃなくなってしまって。ピアノもレッスンが嫌でしょうがなくて、中学に入ってやめてしまいました。両親がプロのミュージシャンだったので、楽器を演奏することに対しては変なコンプレックスがあったのかもしれません。

アーティスト・真鍋大度が、小学3年の時に弟と写った写真
1986年撮影/奥が小学校3年生の真鍋さん、手前は妹。シンセサイザーはパソコンを触る感覚と近いので、ゲーム感覚で音楽を作っていたという。

プログラミングにハマったきっかけの一番大きな理由は、小学校1年生の時に半年くらいアメリカに住んでいた時に出会ったゲーム。ATARIの「Frogger」というゲームだったんですが、衝撃的で、すぐにハマってしまいました。
もう一つの理由は、アメリカから帰国後の家にパソコンがやってきたこと。マイクロソフトの「MSX」とNECの「PC8801」です。

新しもの好きな父が買ったんですが、特に仕事で使っていたわけではなかったので、ほぼ僕が独占していました。ゲームをプレーするのも大好きだったのですが、パソコンを手に入れてからは、ゲームを作る方に興味が行きました。ゲーム作成ソフトでゲームやゲーム音楽を作って解説書を読みながらずっとパソコンにかじりついていました。

パソコンの先生は、もっぱら本と秋葉原の人たち。小学生の時から一人で秋葉原のコピーツール屋に出入りしていて。当時、小学生なんてほとんどいなかったので、面白がられていろいろ教えてもらいました。そういう意味で考えると、僕の場合、自分の好きな分野を伸ばしていくうえで、東京という立地も大きく影響していたのだと思います。

あと、親はいい音楽を聴かせたいと思っていたらしく、ジャズやクラシックの名盤をかけたり、コンサートにもよく連れていかれました。でも、正直当時はマイルス・デイヴィスについて力説されても「わかんねー」って思ってて(笑)。

アーティスト・真鍋大度
真鍋さんの周りにはパソコンとレコードと音響機材がずらり。楽器こそ触らないが、音楽が身の回りに溢れている環境は変わらない。

音楽に対する距離感は独特の環境でした。でも、結果的にDJをやったりミュージシャンの舞台演出をしたりしているのは、やっぱり音楽が身に染みついているんでしょうね。習い事は嫌いでしたが、アメリカから帰ってきた後にずっと英会話を習わせてくれたのは、今でもすごく役に立ってるし、感謝してますね。

僕は本当にゲームばっかりやっていて、それで怒られもしましたけど、もともと両親も音楽オタクの機材オタクですから。苦手なことよりも、好きなことをやった方がいいと思ってたんじゃないでしょうか。