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アートディレクター・長嶋りかこ。「わたしの、こう育てられた。」

子供の頃の育てられ方がクリエイティビティをどう育んだのか。アートディレクター・長嶋りかこさんが幼き思い出を語ってくれた。

Photo: Tomo Ishiwatari / Text: Rio Hirai

働き者の母が背中で教えてくれた、
自分が信じる善意を貫く大切さ。

物がないってすごいんですよ。私が生まれ育ったのは、茨城県の旧那珂郡にあった村で、小学校まで自転車で1時間かけて通わなくちゃいけないような山の奥。物もないしお金もないような家だったので、だいたいの物は手作りでした。

おじいちゃんが器用で、ワラから縄を作ったり、竹で籠を編んだり、おもちゃを作ってくれたり……。幼かった私も、人形やドールハウスなど欲しいものはだいたい自分で作りました。
塗り絵も、線画だけ描いて端っこに「色を塗ってね」と書いて塗り絵の形態にしてから色を塗っていました(笑)。「自分の手を動かして物を作る」というのが当たり前の環境だったんですね。

高校からは市の学校に通ったのですが、そこでの私のあだ名は「ムラ」でした(笑)。それくらい実家のある場所は田舎だったんです。
家でのコミュニケーションも街の人とは違ったようで、友達から「りかこ、それは会話じゃないよ」と言われて初めて、話題を投げたら、投げ返す、というのが会話のキャッチボールだと知りました。今も苦手ですけど、あまりしゃべらない子でしたね。

アートディレクター・長嶋りかこが、3歳の時に母と姉と写った写真
1983年撮影/4つ年上の姉と、6つ年上の兄のいる3人兄弟の末っ子の長嶋さん。写真左が母で、右が姉。家族揃って池袋に出かけたときの様子。

母は重度の知的障がい者施設でずっと働いていたので夜勤も多く、特に私が幼い頃は家族みんなに育てられたという感じでした。
母の仕事場に初めて連れていってもらった時は、それまで出会ったことのなかった重度の知的障がい者と呼ばれる人たちとどう接すればいいかわからなかったのですが、何度も会っているうちに、体は大人だけど子供のような彼らの純粋さに心打たれることが何度もありました。

過酷な職場だったはずですが、母が家に帰ってきた時に施設で暮らす人たちについて自分の子供のことのように話す姿が印象に残っています。

そうやって母から施設での話をたくさん聞いたり見たりしていましたが、子どもながらになんとなく、社会は、光が当たってキラキラしている表面の部分だけが見えていて、そうではない裏面に陰の部分があることやそれを支えている人間がいることを、皆が知ることができるようにはできていないんだろうなと感じたりしました。

アートディレクター・長嶋りかこ
2014年4月にスタートした〈village®〉の事務所は、原宿の真ん中。近々独立祝いの「手巻き寿司パーティ」をするために実家に帰る予定。

自分の信じる正義を真っすぐ貫き、行動に移す母の姿勢は、少しピュアすぎてハラハラするようなこともあるのですが、そういう母の背中を見てきたことは、今の自分にも影響しているのかもしれません。
少なくとも、これから自分がデザインすることを、表面の見えている部分だけをきれいに化粧するだけのものにはしたくないなとは思っています。

デザインにおいても社会においても、見えている表面、見えない裏面、両方とちゃんと向き合いながらカタチにしていきたい。誰に頼まれているわけでもないんですけどね。