トップシェフを育んだ、“おいしさ”の原体験は洋食に
「幼い頃から、厨房が遊び場だった」
川手寛康シェフは、そう話す。父・一富さんが営んでいた洋食店の厨房のことだ。多摩川に近い町にあるから、店名は〈利場亜〉。川手少年は、幼稚園や学校が終わると、真っすぐ“店に帰る”子供だった。
一富さんが店を開いたのは、1978年の夏。川手シェフ誕生の、ちょうど1ヵ月前だ。一富さんが料理人になったのも、父(川手シェフの祖父)の影響が大きい。
「釣りと料理が趣味で、一緒に釣りに行き、魚料理を食べさせてくれた。自然と料理を覚えました」と話す。自分は「好きな料理を仕事にしよう」とフランス料理店などでみっちり修業し、技術を身につけた。
ファミリーレストランチェーンが世を席捲する少し前の70年代後半から80年代初頭、洋食は、庶民の憧れ、ごちそうだった。本格的なデミグラスソースで作るビーフシチューやタンシチューなど、手間を惜しまぬ味は評判を呼び、〈利場亜〉は大繁盛する。「うちはレストランをやっているんだぜ」と、友人たちに誇らしげに話す川手少年も、父の料理が大好きだった。
自身の進路を考えたときも「料理人以外なかった。ほかの仕事、知らなかったですし」と、笑う。フランス料理を選んだのも自然な流れだろう。都内の名店の門を叩き、クラシックからモダンまで幅広い技術と表現を学び、フランスでも腕を磨く。2009年、青山に開いた〈フロリレージュ〉は人気店となり、6年後に現在の外苑前に移転する。今や若き料理人たちが憧れるスターシェフだが、美味の原点は変わらない。子供の頃に食べた、父のハンバーグ。飴色タマネギの甘味が基調で、デミグラスソースも濃厚。古き良き洋食店の味だ。
「洋食では親父を超えられない」と常々話す川手シェフが、今回、一富さんのためのハンバーグを作ってくれた。父の味の再現ではなく、フランス料理の技術と、親になった自分が子供たちに作る味を合体させたオマージュ。洋食は「日常のごちそう」と考えるから特別な食材は使わない。材料はほぼ同じで、タマネギの炒め具合を加減して甘さを抑え、隠し味に発酵野菜で作る手作りマヨネーズを加える。肉だねを丸めて、両手でキャッチボールをする「空気抜き」をしながら「これ、完全に親父のリズム。自然と同じになってしまう」と笑う。
ソースは、大きく異なる。小麦粉は使わず、赤ワインとフォン・ド・ヴォーをベースに野菜や果物を加えて軽やかに仕上げた。さらりと、でも香り、味わいは重層的なフレンチのソースだ。
きびきびと仕込みをするスタッフの真ん中で、ハンバーグを作る川手シェフを、一富さんはまぶしそうに見つめる。川手シェフ、いや、息子の「ヒロ」が皿を運んでくると、すぐに一切れを口に運んだ。「たいしたものだなあ」と、心からの声が漏れる。
「ソースが、いい。さっと作ったもののはずなのに、すごくいい味になっている」
小さな頃、大のパパっ子だった川手シェフだが、中学生になると父子の会話はめっきり減った。いわく「バリバリの反抗期」。それでも父と同じ職業を選んだのは、料理人としての父親を尊敬していたからだ。
現在の〈フロリレージュ〉の料理は、“モダンフレンチ”と呼ばれる。趣向が凝らされたプレゼンテーションには驚きが詰まっているが、食べて首をかしげるような料理は一品もない。ホウレン草やニンジンなど、誰もが知っている食材で、まだ誰も知らないおいしさを作る。人生をかけて磨いた技術で作る味が、人を笑顔にし、温かな記憶を作ることを知っているからだ。子供の頃に見た、父の背中を通じて。今はなき小さな洋食店の厨房は、〈フロリレージュ〉の現在に、ちゃんとつながっている。