何も変わらないのに、前より若くなっている——。30年以上(もはや40年)、マイペースで我が映画道を淡々と歩み続けるジム・ジャームッシュ監督。彼の2016年の傑作『パターソン』を観た時、そんな感慨に包まれた。理由は明確で、主演にアダム・ドライヴァーを迎えていたからだ。
もしアメリカン・インディーズという言葉で括(くく)ることのできるシーンが今も健在だとするなら、ここ10年で最大の顔となったニュースターがアダム・ドライヴァーだろう。
むろん彼は『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(15年)から人気シリーズのカイロ・レン役に就任し、ハリウッドメジャーでもおなじみの役者だが、それ以上に『フランシス・ハ』(12年)や『ヤング・アダルト・ニューヨーク』(14年)や『マリッジ・ストーリー』(19年)のノア・バームバックなど、作家性の強い監督の「小さな映画」で存在感を発揮してきた。
特にモノクロで撮られた『フランシス・ハ』の彼(NYで浮遊しているアーティな青年役)は、初期ジャームッシュの世界からふらっと現れた登場人物のよう。ドライヴァーは『パターソン』への出演を決めた理由について爽やかにこう語っている。
「ジム・ジャームッシュだよ。彼は現役で活躍する最高の映画監督のひとり。自分が雇ってもらえることなんか絶対にありえない巨匠だ」(公式インタビューより)
求められた役者が、監督の映画によく通じており、多大なリスペクトを持って接する。愛が好循環で回る無双の関係性。かくしてジャームッシュの映画にも理想的な新陳代謝が起こり、「昨日よりも若く」(©ザ・バーズ)とばかり全体の細胞が活性化した。
この『パターソン』一作でドライヴァーが新しいアイコンにも見えたのは、ヤング・ジャームッシュ然としたルックスのせいもある。彼はよくキアヌ・リーヴスに激似と指摘されるが、背格好や雰囲気などジャームッシュにも非常に似ている。同じ血(系譜)を感じる運命的な相性ゆえ、監督が彼に自画像を託しているようにも映るのだ。
また『パターソン』には、1989年の『ミステリー・トレイン』以来のジャームッシュ作品となる永瀬正敏が、日本から来た詩人役で出演。昔からの仲間を大切にするジャームッシュの面目躍如で、永瀬とドライヴァーがベンチで横に並んで座るツーショットは、監督の二世代交流を象徴する珠玉のシーンだ。
こうしてファミリーに加わったドライヴァーは19年の新作『デッド・ドント・ダイ』にも主演。『ブロークン・フラワーズ』(05年)など今世紀に入ってから常連となったビル・マーレイと共にゾンビ禍を巡視した。
『パターソン』
『デッド・ドント・ダイ』
さて、俳優アダム・ドライヴァーを絶賛する監督は数多いが、その中でも長老と呼べる重鎮がマーティン・スコセッシである。ドライヴァーは遠藤周作原作の『沈黙─サイレンス─』(16年)で、想定外のムゴい目に遭う神父のひとりを熱演した。しかし彼以上に、スコセッシには自身の映画人生において「昨日よりも若く」してくれた大切なコラボレーターがいる。レオナルド・ディカプリオだ。
02年の『ギャング・オブ・ニューヨーク』を皮切りに、『アビエイター』(04年)や『ディパーテッド』(06年)や『シャッター Aイランド』(09年)など計5度組んでいる。ご存じのとおり、20世紀にスコセッシの相方だったのはロバート・デ・ニーロだ。
『タクシードライバー』(76年)や『レイジング・ブル』(80年)など特濃の傑作群を放ってきたこの黄金コンビは、『アイリッシュマン』(19年)で24年ぶりに組み、彼らのタッグ作は計9本となった。
確かに兄弟の盃を交わしたレベルのデ・ニーロとの共闘に比べ、「21世紀の相方」であるディカプリオは、当初物足りない存在に映っていたことは否めない。
しかし次第に、日本で「レオ様」とも呼ばれたアイドル俳優からの見事な脱皮の過程とも重なりつつ、デ・ニーロにはない質の軽みをスコセッシにもたらしたことで、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(13年)という新しい位相の超アッパーな快作が生まれた。
そして21年に撮影されるスコセッシ&ディカプリオの6度目のタッグとなる新作『Killers of the Flower Moon(原題)』では、デ・ニーロも出演予定という美しい円環を描こうとしている。
当たり前だが、誰しも加齢からは逃れられず、偉大なクリエイターも例外ではない。しかし映画監督の場合、新鮮な肉体に主体を託すことで、おのれの表現を若返らせることができる。それが映画という共同作業による創作営為のキモである。監督の健康的な延命の最たる秘訣は、ガチで組める新たなキャストとの出会いなのだ。
ちなみに「若さ」への執着が招いたスキャンダルで躓(つまず)いた御仁だが、実はウディ・アレンこそ、配役の新陳代謝で自分の映画を柔らかくリフレッシュしてきた監督の典型である。
ダイアン・キートン、ミア・ファロー、スカーレット・ヨハンソン、エマ・ストーンといった歴代の主なヒロイン——あえて搾取的な古い用語を使うなら「ミューズ」となるが、彼女らがバトンを繋ぐことで作風に緩やかな波が起きた。19年の『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』ではティモシー・シャラメ、エル・ファニング、セレーナ・ゴメスなど旬の若手が集結している。
思えば以上挙げた三人の監督はいずれもNY派。ハリウッド帝国&ショービズ界の慣習や喧噪とは各々適切な距離を置き、自分の世界を守りながら映画作りを続ける彼らには、ロングランする「小商い」の精神や哲学が備わっていて、俳優との共闘関係によるアンチエイジング効果にとりわけ敏感なのかもしれない。