ビー・ガン
80年代にはチェン・カイコー、チャン・イーモウらいわゆる第五世代と呼ばれる作家たちが台頭し、国際的な評価を高めていった中国映画界。90年代後半にはジャ・ジャンクーがカンヌ、ヴェネチア、ベルリンなど国際映画祭の常連となった。
そしてその後、アート映画界に鮮烈に現れて各国の映画祭を席捲したのが1989年生まれのビー・ガンだ。ポン・ジュノも「2020年代に注目すべき監督20人」の中の一人として名前を挙げ、「この先、20年間の映画界を牽引する監督である」というコメントを寄せている。
日本では20年、18年の長編2作目『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』と、15年の初監督作『凱里ブルース』の順番で公開され、ビー・ガンの名前を一気に知らしめることになった。
自主製作で完成させた『凱里(かいり)ブルース』の舞台となっているのは、監督自身の故郷である貴州(きしゅう)省の町、凱里。刑期を終えて帰郷し、小さな診療所で老齢の女医と暮らす中年男のチェンが主人公だ。
姿を消してしまった甥っ子を探すため、そして女医の昔の恋人に思い出の品を届けるために旅に出たチェンは、ダンマイという奇妙な街へと辿り着く。服役中に妻を失ってしまったチェンのどこか虚ろな日常と過去のかけらを湿度のあるタッチで描き出した前半も魅惑的だが、驚異的なのが後半に展開される40分にも及ぶノーカットのロングショット!
青年が運転するバイクに乗って山道を進むシーンから始まり、トラックの荷台に乗り換え、またエンストばかりするバイクへ。カメラは時に先回りしたり後ろ姿を追いかけたりしながら、坂の多いダンマイの街の様子と人物たちを映し出していくのだ。
この街では冒頭に引用されている「過去の心はとらえようがなく、未来の心はとらえようがなく、現在の心はとらえようがない」という金剛般若経の一節のように、過去、未来、現在が交錯して不思議なことが起こる。
多くの映画作家が描いてきた“時間と記憶”を題材に、まだ20代半ばのビー・ガンがこれほどまでに独創性あふれる、心のロードムービーともいうべき一作を完成させたことに、驚嘆せざるを得ない。
続く『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』はカンヌ国際映画祭「ある視点」部門でワールドプレミア上映が行われ、中国でも1日で41億円の興行収入を記録するという異例の大ヒットを叩き出した。
この作品では久しぶりに故郷の凱里に戻ってきた主人公が、“運命の女”に惑わされ、迷宮へと誘われていく姿が描かれている。バジェットも増え、スター女優、タン・ウェイを起用しているが、『凱里ブルース』と同様に夢と記憶は重要なモチーフだ。
そして後半60分がワンショット、しかも長回しが始まると同時に2Dから3Dへと切り替わるという斬新な手法がとられている。常識にとらわれない自由で大胆な発想によって生まれた映像が手招きするのは、時間軸も空間も歪むようなマジカルな世界。
映画館から鉱山の洞窟、ロープウェイで街へと下り夜空を飛ぶかのごとき一連のシーンが観る者に与えてくれるのは、最高の浮遊感と没入感だ。
ビー・ガンは、ヴィム・ヴェンダースやアン・リーの3D映画から影響を受け、アンドレイ・タルコフスキーの豊かな音の使い方にインスパイアされたと語っている。
ビー・ガンが生み出す映像は彼岸と此岸の境界線が溶け合った世界のようでもあり、目を開けたまま見る夢のようでもある。若き鬼才がこれからどんな題材に取り組んでいくにせよ、中国映画の可能性を更新し続ける旗手であることは間違いないだろう。
『凱里ブルース』
自主製作作品でありながらロカルノ国際映画祭を皮切りにナント国際映画祭などにも出品され、中華圏を代表する映画賞である金馬奨では最優秀新人監督賞を受賞している。新華社通信は絶賛の様子を「中国映画を50年進歩させる」と伝えた。主人公を演じたのはビー・ガンの叔父で、ほとんどの出演者が監督の親戚や友人。'15中。
『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』
ビー・ガン監督の長編2作目。日本では東京フィルメックスで上映され、2020年、待望の劇場公開。ヒロインを演じたのは『ラスト、コーション』などで知られるタン・ウェイ。主人公が運命の女を追いかける物語はヒッチコックの『めまい』を思わせるという評価を得た。'18中=仏。