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「洋食」を日本中に広めた立役者。ファミレス社会学

70年代に登場し、庶民にとっての洋食の象徴となったファミリーレストラン。背景となる社会状況、時代に与えた影響をライターの速水健朗さんが解説する。

photo: Shu Yamamoto / text: Asuka Ochi, Koji Okano

ファミレス社会学

ファミレスチェーンがあらかた出揃い、ファストフードや冷凍食品の台頭も相まって、食に対する革命が起こった1970年代初頭。高度経済成長が終わる73年には、戦後のベビーブーマーの結婚がピークとなり、家父長制の影が薄まって、核家族が主流の時代へと突入します。

1981年のロイヤルホストのメニューブック
1981年のロイヤルホストのメニューブック。

彼らニューファミリーと呼ばれる人たちは、家族で出かけるにも必ず車を使うマイカー世代で、新しい消費生活スタイルを持っていた。郊外型のファミレスというのは、それを見越したビジネスの中で生まれてきたんですね。その背景には、アメリカで始まったドライブイン型、ダイナー型の外食文化がありました。

60年代までも、百貨店のお好み食堂の洋食、例えば、お子様ランチやビフテキは、家族のお休みの日の食事の定番でした。70年代以降は、車でファミレスへ行って食べる洋食がとって代わります。ファミレス時代を象徴する定番はハンバーグステーキでしょう。

それは、家庭の味を守るのが主婦の義務と思われていた時代からの転換期にもなりました。新しい民主的な時代の実現にセントラルキッチンが使われたのも面白いところです。これはもともと共産主義国で、家族固有の食をなくして平等社会を実現するために生まれたシステムなんですね。経営の合理化や人手不足の解消の対策が、全国どこでも同じ味の洋食が食べられるという食の均一化を生み、日本の中流社会の形成にもつながった。

また、様々な食文化をローカライズして定着させたのも特徴的で、大根おろしが付いた和風ハンバーグステーキは、和と洋を融合させたファミレスらしい発明品でした。ドレッシングの種類を増やしてサラダをご馳走にしたり、コーンスープを皿で飲むことを当たり前にしたり、ファミレスが広めた洋食文化はたくさんありますね。

当時の建築様式も美しくて、平屋のピロティ型建築や三角屋根の店舗が残っていると、優雅で懐かしい気持ちになります。80年代に入ると24時間営業が一般化し、90年代には業態が多様化。低価格を売りにしたブランドも登場し、洋食はより身近に。「洋食」と改めて考えるまでもなく、日常の食事となったのはファミレスの功績と言えると思います。

ファミレスを理解する3つのポイント

アメリカの外食産業からの影響

アメリカでは1940年代頃からドライブイン型、ダイナー型の外食産業が発展。ファミレスはそれに家族で行けて充実したメニューが味わえるという要素を加えたものだった。

ニューファミリーとモータリゼーション

日本では1970年代からニューファミリーが登場。車で出かけられるロードサイド型のファミレスは、外食に欠かせないものとなった。それはそのまま戦後日本の洋食像となっていく。

1978年のすかいらーく西国分寺店の店内の様子
1978年、東京・国分寺市の、すかいらーく西国分寺店。©共同通信社

日本独自のファミレス文化

郊外型ファミレスに必須だったのが駐車場。国土の狭い日本でその敷地を確保するために独自に発展したのが、1階を駐車場、2階を店舗にしたピロティタイプのファミレスだった。

デニーズ南青山店の外観
現在もピロティ型の建築が残る、デニーズ南青山店。

やっぱりロイホ好き!50年以上にわたり愛され続けてきた〈ロイヤルホスト〉の歩み