エドガー・ライトとYaffle
気鋭の表現者同士が語らう。
現在公開中のエドガー・ライト監督の新作『ラストナイト・イン・ソーホー』は、ファッションデザイナーを目指し、ロンドンに上京したエロイーズ(トーマシン・マッケンジー)が、ある晩、憧れだった1960年代のソーホーに自分がいる夢を見て、その時代をある意味リアルに体験するという、いわゆるタイムリープものだ。
ところが、彼女が夢の中で出会う歌手志望のサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)と、まるで自分の分身のように身も心もシンクロするようになってから、夢と現実の境界線が曖昧になり、甘美だったはずの夢がいつしかナイトメアへと変わるという、エドガー・ライトらしい凡百のタイムリープものとは一味も二味も違う独創的な映画となっている。
そして、音楽マニアも唸らせる60年代UKポップスの選曲。今回この作品を観てもらったのは、映画音楽を手がけることもあり、無類の映画好きでもあるという音楽プロデューサーのYaffle。同じ表現者の目線で、作品で描かれる60年代カルチャーについて、映像と音楽の関係性について、監督にいくつかの問いを投げかけてもらった。
Yaffle
映画、拝見したばかりなんですが、自分の使ったことのない脳みそがワーッと回っている感じがしてものすごくエキサイトしました。
エドガー
嬉しいですね。
Yaffle
今のソーホーと60年代のソーホー、そしてエロイーズともう一人の自分へのトランジションというものがあると思うんですが、その2つの空間を自分が瞬間的に移動しているような体感を覚えました。映画のジャンル的な部分も含めて。
エドガー
観て気づかれたかわかりませんけど、エロイーズとサンディのベッドルームは同じ部屋なんですが、いちいち装飾を変えるのが大変なので2つ別のセットを作ったんです。さらに、上からの画も撮れるように3つ目の寝室も作りました(笑)。まるでエッシャーの絵画の中に入り込んでしまったような、そんな感覚のする現場でした。
Yaffle
この映画、60年代に対する憧憬を描いたものなのかと思いきや、決してそういうオチではないわけなんですが、この映画のコアアイデアというのはどういうところにあったのですか。
エドガー
自分自身は60年代のカルチャーがオブセッションになっていると言っていいくらい好きなんですが、この時代、素晴らしいものがあった一方で、ダークな部分もいろいろあったわけで、この映画を通して、そうした60年代を美化するノスタルジアに対しては一つの警鐘を鳴らしたいという意図はもともとあったかもしれません。
楽曲が、時空を超える引き金に。
Yaffle
僕も仕事で映画音楽を作ることがあるのですが、監督の映画は音楽の使い方がいつも大胆で強烈な印象を残します。今回特にこだわったのはどういうところでしたか。現代と60年代を行き来する話なのに、選曲は60年代ものにスタックしている感じもあって、それが2つの時空の境界線を緩くしているところがある気もします。
エドガー
60年代の楽曲を主に使っているのは、まずそれが引き金となってその時代をフラッシュバックさせるという効果がありますよね。その後は、次第にスコアが支配権を持つようになっていきます。
たぶんお気づきになったかと思いますが、スコアには60年代を象徴するメロトロンという楽器を使ったり、セリフをサンプリングしたものを入れたりしてコラージュ感を出しているんですが、その感じというのはビートルズの「レボリューション9」に近いものがあるかなと。
実は僕、子供の頃あの曲が怖くて仕方なかったんです(笑)。後半になると、オーバーラップしたセリフのサンプリングが強烈になってきます。過去が現在を侵食するような。
Yaffle
最後に、自分もそうなんですが、創作において無意識のうちに執着してしまう、最後まで考えずにはいられない部分というのはありますか。例えば自分は、その曲のグルーヴなのですが。
エドガー
ありますね。今回アニャの歌のシーンでそういうことがありました。これはネタバレになりますので具体的には言えませんが(笑)。
ある日突然新しいアイデアが閃いてやり方を劇的に変えたんですが、それは無意識にそのシーンにこだわり続けていた結果だったのかもしれません。
パズルの足りなかったところがその瞬間見つかったみたいな。僕はそういう瞬間がすごく好きなんです。創作のエネルギー源にもなりますしね。