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鰹節はニッポンの工芸品。鹿児島・枕崎でその奥深さを知る

ここ数年、各地で「だし取り教室」が人気を呼んでいるとか。その背景にあるのは、天然素材でのだし取り経験のほとんどない世代が増えているということ。当然、鰹節も削ったことがない。そんな人たちにぜひ知ってもらいたい、かつては身近にあった「本物」の鰹節のことを。

Photo: Keisuke Fukamizu / Text: Kosuke Ide

日本の魚文化の奥深さを知る、「本物」の鰹節だけが持つ味と迫力。

コーヒーと鰹節の共通点とは?などと尋ねられても何のことやらだろうが、その答えは「食す直前に削る(挽く)のが味も香りも最高」ってこと。

いわゆる「サードウェーブ」のカルチャーとともに台頭した「スペシャルティ・コーヒー」はワインよろしく生豆の詳細な産地と生産方法への意識を促し、消費者のリテラシーを飛躍的に高めたことは記憶に新しい。より良い味を求める人が「自ら豆を挽いてドリップ」なんて光景も今や珍しくなくなった。

それを思えば、ニッポンの伝統・鰹節の立場はすっかり後れを取っていると言わざるを得ない。1960年代頃までは各家庭に1台「削り器」が常備され、食事の準備に鰹節を削る光景が見られたが、パックや顆粒などインスタントだしが登場して以後、天然素材からだしを取る人は激減。

工場で削った“フレッシュパック”の削り節も出回っているが、安価なものの多くはカビ付けの工程を省いた「荒節」を使用したもので、鰹節本来の「本枯節」を削ったものに比べ、味や香りのまろやかさや旨味で劣る。

「その程度の違いなんて」と考えるかどうかはその人次第だが、当然ながら「だしが命」とも言える和食の料理人をはじめ、味に強いこだわりを持つ人々の間では今もって鰹節を丸ごと買って削ることは基本中の基本というだけでなく、やはり産地や生産方法の違いに対する解像度の高さも大いに問われるところ。

それも「鰹節なら枕崎がいい」という程度のレベルではない。その究極を問うならば、「鰹節なら“枕崎”の“宮下さん”が作る“近海”の“一本釣りもの”の本枯節に限る」、ということになる。

鰹を天日干しにする作業
宮下さんの鰹節は鰹節問屋〈鰹節のタイコウ〉オンラインストアで取り扱い中。

今やすっかり稀少になった「近海一本釣りもの」の鰹節。

「俺からすると、まったく“別もの”って感じだね」。鹿児島県・薩摩半島の南端、鰹節生産量全国一で知られる枕崎の工場で、家族4人で鰹節作りを営む宮下誠さんが、早朝に運び込まれた大量の鰹の頭を鮮やかな手さばきで落としながら話す。

宮下さんの言う「別もの」とはつまり、現在の市場の大半を占めている「南洋での巻き網漁で獲られた冷凍もの」の鰹で作られた鰹節と、彼らが作り続ける「近海の一本釣りもの」による鰹節のこと。巻き網は漁獲量が多いが、捕獲された鰹は鮮度にばらつきがあり、また鰹が網の中で暴れ、その過程で死後に旨味成分に変化する体内のエネルギー物質ATP(アデノシン三リン酸)が減少するほか、乳酸が発生して酸味が出やすい。

一方で、近海の一本釣りものは鮮度が高く安定しており、魚体が美しく身の傷みも少ない。そうした良質な鰹は稀少であり、売価の高い刺し身用の鮮魚として流通するのが一般的だが、宮下さんはその贅沢な鰹を使って長年にわたり鰹節を作り続けているのだ。

「30年ほど前までは、近海一本釣りものの鰹節は普通だったんだよ。でも、ほとんどの業者が効率の良い巻き網に転換していったね」。今や枕崎で生産される鰹節全体の中で近海一本釣りの鰹節が占める割合は実に1%以下だという。

カツオを削って鰹節にする作業
「削り」には作り手の個性が出る。完成した鰹節の形で職人の腕もわかるとか。

職人の見識と技術が注がれる鰹節作りの驚くべき工程。

話しながらも、宮下さんらの動きが少しも止まることはない。何せ鰹節作りは驚くほど工程が多く、手間のかかるものだ。まずすべての鰹を三枚におろし、腹と背に分ける「相断ち」。家族4人が作業台を前に並び、流れるようなリレーにより鰹をさばいていく。切り分けられた身で魚の質をチェックする。脂は多くても少なくてもダメだという。

数百に及ぶ身を、形を崩さないよう綺麗に籠に並べ、100分ほど熱湯で煮る。終わると今度は手作業で一つ一つ骨を抜く。その後、凹みや割れ目のある部分に、指やヘラで丁寧にすり身を塗り込んでいく。形を整えるだけでなく、身割れによる酸化を防ぐための大事な工程だ。

次に、節を蒸し籠にのせ、庫内で薪を燃やして燻す「焙乾」。これがほぼ毎日、1ヵ月にわたり続けられる。焙乾後は2ヵ月ほど乾燥させた後、表面についた脂肪分をグラインダーで削り整形する作業へ。宮下さんの繊細な手の動きから生まれる立体的な鰹節の造形はまるで彫刻のようだ。

天日で乾燥させたら、室に入れてカビ付けを行う。青緑色の一番カビがついたら、これを天日で干した後、二番カビの室に入れて再びカビを付け、また干す作業を3ヵ月繰り返す。このカビが脂肪分を分解し、味わいをまろやかにするが、カビ付けの回数が多ければ良いというものでもないのだという。

「鰹は季節、気候も含めて、一つ一つ質が違う。それを見極めながら一通りの作業が満足にできるようになるまで、10年はかかる」と宮下さん。完成するまで約7ヵ月を要する鰹節の生産工程を目の当たりにして、鰹節こそは熟練の職人の深い見識と高い技術が注ぎ込まれたニッポンの「工芸品」である、と言い切ってしまいたくなる。

「鰹節作りは難しい仕事だし、職人のなり手も減っている。だけど、昔からの“本物”の香りと味を覚えてる人は、やめられないんだよね。待ってくれるお客さんがいるから、続けてこられた。“値段は気にしない”ってくらい、味にうるさい人たちだから、作る方は大変だけどね」

そう笑う宮下さんの目に、最高のもの作りをする職人の誇りが滲む。世界で和食が注目され、天然のだしの魅力に人々が気づきつつある今、このクラフトビールならぬ「クラフト鰹節」、いや「スペシャルティ鰹節」が広く認知される日は、おそらくすぐそこまで来ている。