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哲学で考えるドーナツ「人はなぜドーナツの穴が気になるのだろう?」

ドーナツは、学問に一番近いスイーツである?哲学者である永井玲衣さんは“ドーナツ”をどう考えるのでしょうか。

illustration: Yachiyo Katsuyama / text: Masae Wako

「人はなぜドーナツの穴が気になるのだろう──という問いをまずは立てましょうか」
そう話すのは永井玲衣さん。いろいろな問いのもとに人々がおしゃべりできる「哲学対話」なる場を、各地の小学校やカフェや美術館で開いている哲学者だ。

「そもそも穴というもの自体に、何かの欠如に見えるから埋めたくなるとか、その先に何かあるんじゃないかと思わせるとか、我々の興味を喚起する一面がありますよね」

もしくは、なさそうなのにある/ありそうなのにないという奇妙さも理由の一つ。
「例えば“ここにドーナツの穴があるじゃん?”と誰かが言ったとして、たぶん“うん、それで?”と会話はするっと続くだろうけれど、いやいや、“穴がある”ってヘンでしょう。穴だけを指せば、あるとは言いづらいし、穴の縁を指すと穴そのものを示すことができない。何を指しているんだろうって、言葉が逃げていくんです」 

ドーナツは存在しているのに、非存在を含んでいるなんてワケがわからない。
「でもよく考えたら、この世のあらゆる現象が、なさそうであるし、ありそうでない。例えばオンラインでの会話も、まるで一緒にいるみたいにおしゃべりできるけど、本当は別々の場所に存在してるわけですから」

じゃあ存在の確かさって何だろう。何がどう存在すれば「ある」と言えるのか。
「そういう、私たち人間にとって最も切実で哲学的な問いにつながらざるを得ないから、人は穴が気になるんじゃないでしょうか。生きるってどういうことだろう。何で生まれてきたんだろう。死んだらどうなるんだろう。すべてがごく根源的な存在への問いですが、普段の会話でそんなことを語るのは照れくさい。

でも、友達とドーナツ屋さんに入った時に、“穴だけ食べることってできるのかな”とか“どうして穴があるって言うんだろう?”みたいなことを話すのだったら、できるんですよね。極めて手のひらサイズの日常の中で、我々にとって最大の謎である“存在”ということにつながれる。考えさせられてしまうんです。言ってみれば、ドーナツの穴に話しかけられちゃう感じ。これこそが哲学の面白さだと私は思います。

哲学とは受け身で始まるもの。問われて考えることはとても楽しい。だから、誰かとお茶する時にでも、問いかけてみたら面白いですよ。“なんでドーナツの穴が気になるのかな?”って」

勝山八千代 イラスト

言語学で考えるドーナツ。「ドーナツとその穴をめぐる言葉の冒険」