言語学で考えるドーナツ。「ドーナツとその穴をめぐる言葉の冒険」

ドーナツは、学問に一番近いスイーツである?言語学者は“ドーナツ”をどう考えるのか。

illustration: Yachiyo Katsuyama / text: Masae Wako

「〈ミスタードーナツ〉の店名表記はドーナツですが、店員さんはおおむねドーナッツと発音する。この違い、不思議ですよね」
そう話す言語学者の芝垣亮介さんに聞いてみた。ドーナツが日本に入ってきた際は、いったいどんな表記だったのか。

「最も古いと思われるのは、1915年1月24日の讀賣新聞朝刊の“ドナス”で、次が1917年1月5日の東京朝日新聞朝刊にある“ドウナッツ”。いずれも日本に入って来た時の英語の発音をそのままカナにした表記でしょう。1926年11月30日の新聞には“ドーナッツ”も“ドーナツツ”もあり、1930年4月3日には“ドウナツ”が登場。たぶん最初はドーナッツが主流で、どこかで促音が消えたんだと思います。現代でいうと、インターネットの検索で圧倒的に多いのはドーナツ。ただしこれは個人差や環境差によるゆれの範疇です」

そして言語学的にドーナツが面白いのは、言葉の移り変わりだけでなく、穴という存在があるから。芝垣さんは、人がそれを「穴」という言葉で表すには、外力で後から開けた空間であることが条件だと言う。

「五円玉の中心部は穴ですが、ズボンの脚を通す部分やコップの空洞は、形は穴っぽくても穴とは言いません。ドーナツはどうでしょう。生地の中央をくりぬくのが本来の製法なので、我々がその中心を穴と呼ぶことと合致します。実は私、棒状の生地を輪にしてドーナツを作ろうと試みたことがあるのですが、一度発酵した生地の端と端を付けることはほぼ不可能。ドーナツ形にはならなかったし、たとえこのやり方で空洞ができたとしても、後から開けたのではないそれは、穴と呼べないのです」

ちなみに10年ほど住んでいたイギリスでは、穴のないドーナツが主流だったとか。

「それでも“ドーナツの絵を描いて”って言うと、全員が穴の開いた輪っかを描く。もはや現実とは乖離した概念として、あの形が根づいているんでしょう。ドーナツがなぜ気になるのか、それは穴というものがヘンな存在だからじゃないでしょうか。モノとして存在しないのに、“四角い穴”みたいに形を表現できるし、“穴が2個”とも数えられる。言語的にも、例えば“穴を掘る”はヘンですよね。穴は地面を掘った結果できるのであって最初からはありません。英語でも“dig a hole”という言い方をしますが、ますますもって不思議です」

勝山八千代 イラスト