独学者の強い味方は
図書館と書誌にあり。
現在も会社勤めをしている彼は、本を読んだり原稿を書いたりするのは大抵通勤電車の中。工夫しているとはいえ、今も本を読むのは決して速くないという。
「ただし、独学において一番時間がかかるのは本を読むことよりむしろ、読むべき文献と出会うことです。知らない文献は永遠に読めません。本当に自分が知りたいことが書いてある本に辿り着く方法を見出す必要があります。そこで役に立つのが書誌や図書館のレファレンスサービスです」
文献探しにおいて愛用しているのが「邦語文献を対象とする参考調査便覧」と「Oxford Bibliographies」だ。前者はいわば「書誌の書誌」で、3万6000を超える個人名・主題キーワードから12万2000を超える文献を引ける。例えば「アリストテレス」で検索すると「アリストテレス」に紐づく書誌情報はもとより、「政治哲学」「詩・詩論」「プラトン」と関連する分野でアリストテレスについて言及された書誌情報まで見つかる。
ウェブ上で公開されており、誰でも利用できる。後者は105万にわたる分野・トピックについてそれぞれの専門家が解説を執筆し、知りたいことに対してまず何を読めばいいかを案内してくれる書誌サイト。こちらは契約図書館でないと使えないが、自宅からのアクセスを許可している図書館もあるという。
「書誌というのは、自分より先に同じような探しものをした先人たちが残してくれた手がかり。僕みたいに読むのも考えるのも苦手などんくさい人間が独学を実践できるのは、そういった“巨人の肩”があるおかげです」
古代から積み重ねられた知的営為に基づいて新たなものを見つけることを指して「巨人の肩の上に立つ」という。Googleの論文検索サービス「Google Scholar」のトップページにも記されている言葉だ。
「もちろんネットも活用します。情報という水がそこまで来ていて、蛇口をひねれば出てくる。ひねる蛇口がネットにはすごくたくさんあるわけです。いまだにネット上でいろんなリソースを発見することがあって、それが自分の思考の幅や深さを拡大してくれていることを日々感じます」
そうして集めた情報を整理する道具として活用しているのが「スクラップボックス」というウェブサービス。デジタルで情報や資料を管理する場合、フォルダを作ったり階層を分けたりするのが一般的だが、これはすべてのドキュメントが並列に表示され、文中に自分で設定したハッシュタグやリンクによってドキュメント同士がつながるようになっている。
自分で書いた文章に「#読書法」と挿入しておくと、同じハッシュタグを入れたドキュメントが一覧で表示される。一見関係のなさそうな内容でも、自分の中でつながっているもの同士を関連づけて記録しておけるのだ。
「自分で思いついた文章も、ほかの人が書いた論文も、何でも全部スクラップボックスに置いています。手書きのメモはスキャンして貼り付け、検索できるように文章はテキストとして打ち直す。集めるだけ集めて一覧を眺めたり、ランダム表示をしたり、検索したりする中でアイデアや構造が浮かんでくる。穴を掘って水を張って植物を植えて、いろんな生き物が立ち寄ってくれるビオトープを作っているイメージですね」
もう一つの道具が、調べ物の取っ掛かりになるようにGoogle検索のサジェスト機能を拡大活用する「サジェストマップ」。なんと自作でプログラムを組んだ。そして、独学者にとってネットの恩恵は、読むことや調べることだけにとどまらない。
「1997年にメルマガを始めて、2008年からはずっとブログを書いてきました。僕のように分野を横断して学んでいる独学者は、同好の士を見つけづらい。でも何かを書いて発表していれば、見ず知らずの誰かが読んで反応してくれる可能性がある。あんまり馬鹿なことを書いたらボコボコにされますし(笑)。相手がいてやりとりを重ねることで、自分の思考や表現も変化していきます。周囲に同じように勉強する人がいなくとも、独学者は決して孤独ではありません」
挫折するのは当たり前。
自分の見積もりを下げる。
読書猿ほどの独学者が策を講じても「挫折はする」という。
「独学はほぼ挫折します。僕も毎日どころか10分ごとに挫折してますから(笑)。でもそれは大したことじゃない。人間なんてそもそもダメで、覚えは悪いしすぐ飽きる。自分を上等な人間だと思うよりも、さっさと挫折してさっさと立ち直った方がより多く学べるし、より遠くまで行けるんじゃないかなと思います。“2分勉強したからえらい”でいい。自分が頑張れない人間だと認められなかった時期は苦しかったですが、開き直ったら楽になりました」
自分への信用を健全に下げておくことは、挫折への受け身を上達させ、可能性を拡大させる。今は見つけた資料が読み解けなくても、未来の自分は解釈して利用できるかもしれない。思いついたアイデアも同様で、今はくだらなく思えても切り捨てることはせず、先の自分に委ねておく。基本方針は「未来の自分は今より賢い」。この姿勢は、勉強するという行動に限ったことではない。
「私はあえて知に対する楽観的な考え方を持つようにしています。例えば今ある科学に対して疑いを持つことは、科学の未来に期待しているということだと思うんです。知識が未来にはもう少しマシになっているはずだと期待しているから、現在の研究を疑ったり新たに見直したりする余地ができてくる。健全な懐疑は、未来への期待に支えられているんです」
学ぶとは、時間を超えて人類の連綿とした営みと自分を接続するということ。今、読書猿は「社会という知識を理解する」をテーマに学んでいる。
「社会を成り立たせているいろんなもの、例えば“市場”や“法律”“人権”、これらは人間の発明品。これら自体が知識といってもよい気がするんです。誰か特定の人が発明したとは言えないけれど、長い歴史の中で少しずつ積み重ねられ改良されてきた。こうしたものの知識としての意義を解説する本を書きたいんです」
これもまた、未来へとつなげるバトンの一つだ。
「大人になると否応なく社会に投げ込まれて理不尽な目に遭う。そのときは怒りを覚えるけれど、そのうち諦める。でもただ諦めてしまうと、なぜ社会はこんなにも理不尽なのか、新たに社会に入ってくる若い人たちに説明できません。みんなが大人になるのを嫌がる社会は、ろくなもんじゃないですよね。年をとることがただ劣化することだと見なされる社会では、子供たちだって未来に希望なんて持ちようがない。でも社会に散らばる理不尽の一端を理解できれば、その発動条件がわかって回避できたり、我慢や諦める以外の対処法もわかる。そうなると、今より気分良く、楽に楽しく生きられるように思うんですが、これって面白くないですか?」
独学者の脳内デジタル整理術
興味を持って集めた情報をどう勉強に役立てるか。独学者には教えてくれる先生もいない。読書猿が自ら編み出した整理術がこちら。
Scrap Box
概念にキーワードを紐づけ導き出したアイデアを整理
スクラップボックスは「プロジェクト」を立て、その中でページをどんどん増やしていくことができる。「重要なアイデアの整理」のページでは「宗教」「経済」「政治」など、社会を形成する概念から関連する概念を紐づけ、アイデアに至る流れを可視化。一つのプロジェクトの中には同種のページが複数存在するという。
関連づけ方は自分次第、膨大な情報をタグで管理
同一のタグを持つページを紐づけられる機能を使って、例えば「政治」に関連するものを一覧で表示できる。一つのページに複数のタグを付けられるので、「正義」と「政治」どちらで検索しても出てくるように関連づけることができる。「政治-世界大百科事典」が入っているように、辞書や事典の基礎的な情報もカバー。
Suggest Map
ウェブでの調べ物の手がかりにオリジナルの道具を作る
Googleで検索をするときに表示されるサジェストワードを拾い集めてマップ化した「サジェストマップ」は、プログラムから自作したもの。縦に並べて表示されるサジェストワードを、一望できるようにしたことでつながりが見えるようになる。これはあくまで手がかりを探すためであって、ここからどう整理するかが肝だという。