おいしさの秘訣は
「文脈」というスパイス
鈴木めぐみ
12冊のフルコース、お味の方はいかがですか?
マッキー牧元
いや〜、素晴らしい!食にまつわる本って、「おいしそうな表現」に目が行っちゃいがちだけど、今回の12冊は作家の食との向き合い方が見えてくるものが多くて、面白い。
鈴木
私は仕事柄、レシピ本を読むことが多いのですが、料理書って料理家の「生きる哲学」が詰まってるんです。同じように小説の中にも、書き手の食に対する哲学が表れてるはずだと思って。
マッキー
圧倒的なのは、田辺聖子の『春情蛸の足』。食を通して男女の恋模様を描く短編集だけど、スゴいですよ、これは。例えばここ、ちょっと読みます。「お好み焼きは多少の下品さがなくてはいけない。豚の脂がじんわり沁みわたったいかがわしさ」。いかがわしさっていうのがイイ!
鈴木
いきなりスゴイですね〜。
マッキー
主人公はお好み焼きが大好きなサラリーマンなんだけど、家族は上品志向でお好み焼きなんか好きじゃない。さらに部下の女の子たちに誘われてお好み焼き屋に行ったら、ワインがセットで出てきたり、コーンがのってたりして憤慨するわけ。
鈴木
「こんなのお好み焼きじゃない!」ってね(笑)。
マッキー
で、ある日、完璧なお好み焼きに出会う。それが「下品中の一番上品」なお好み焼き。僕も色々食べてて思うけど、本当にその通りなんです、お好み焼きは。下品すぎても上品すぎてもダメ。
鈴木
関西が舞台だけあって、おいしいものがこれでもかと登場するのも食欲をそそります。
マッキー
食べることが好きなんですよ、田辺聖子は。何万回も食べて、自分のうどん、自分のお好み焼きとか、そういうものに対してこうあるべきだっていう人生論を持ってる。だからこそ食べ物の真理を突いてるんだと思うな。
鈴木
徹底的に向き合うという点では、いとうせいこうの『スキヤキ』も結構キテませんか?
マッキー
これ、面白かった!
鈴木
いとうさんがひたすら全国のスキヤキを食べ歩くという……。
マッキー
これって『小説すばる』の連載でしょ?だからかな、回が進んでいくにつれて、表現がうまくなってくるんだよね。連載開始当初は「うまい」とか普通の感想なんだけど、徐々に「柔らかな網のような肉の向こうから、歯触りのよい野菜たちが現れ、口の中で暴れる」となってくる。
鈴木
暴れるって、いいですね!
マッキー
そもそもスキヤキの味って、店によってそう変わらないじゃない?でも同じものをずっと食べていくと、違いとか深さがわかってくる。その発見の過程と変化に面白さがあるんです。
味だけでは語れない
料理の本当のおいしさ
鈴木
私は、直接的な食べ物の描写よりも、それを取り巻く風景や人々の描写から「おいしそう!」って思うことが多いんです。
マッキー
それでいうとよしもとばななの『ジュージュー』が良かった。父のハンバーグ屋を継ぐ話だけど、ほとんどハンバーグの描写がない。でも読んでると、無性にハンバーグが食いたくなるよね。
鈴木
洋食屋さんって、入ると油の匂いが立ち込めてたりするじゃないですか。そういう感じが伝わってくるんですよね。
マッキー
洋食屋のラードの匂い!あと、主人公のこの言葉が気に入った。「牛の中にあるほんとうのきらめき、命のエッセンスは、死んだ肉からは消えている。しかしそのかすかな力の匂いだけでも得たいから、人間は肉を食べるのだ」。こういうのもやっぱり真理だと思うんです、食べることの。
鈴木
肉を食べずには生きていけない人間の宿命というか。
マッキー
おいしい肉を本当においしく調理された時、僕は「命の滴りがある」と表現したりするんだけど、つまり死んだ肉の中に命の存在を感じるのね。命というのは食べたり、食べられたりするものなんだって、改めて感じた。
鈴木
森沢明夫の『ヒカルの卵』も命を考えさせられる物語じゃないですか。主人公が、こだわりの卵かけご飯の店を開く話。
マッキー
可愛がってた鶏が、1つだけ卵を産んで死ぬんだよね。それを卵かけご飯にして食べるシーンがね、すごくいい。
鈴木
「甘めえな」って言いながら食べる場面、グッときます。
マッキー
普段の生活で卵1個食べるのに「命をいただく」なんて思わないじゃない。でもこのシーンにはそれが満ち溢れてる。
鈴木
素朴な料理でも、そこに強い思い入れがあることで、それが特別なものになるんですね……。
マッキー
井上荒野の『キャベツ炒めに捧ぐ』に出てくる料理もそう。別れた男が食べてたあさりフライを作り続けるとか、ひろうすには絶対百合根を入れるとか。これも別れた旦那の好みだもんね。
鈴木
惣菜屋を営む3人の女性が主人公で、日々、思い出たっぷりの惣菜を作るんですけど、どれもすごくおいしそうなんです!
マッキー
伊吹有喜の『四十九日のレシピ』も料理が人をつなぐキーになってて、ジーンときた。
鈴木
亡くなった母が残したレシピによって、バラバラだった家族の心が通っていくという話ですね。
マッキー
中でもコロッケサンドのくだりが泣ける。お母さんが生前最後に作った料理なんだけど、それを受け取ったとき、お父さんが怒っちゃう。「ソースが沁みてカバンが汚れるだろ!」って。
鈴木
それが最後の会話になったから、すごく後悔するんですよね。でも、そのコロッケサンドが残された家族の傷を癒やしていく。
マッキー
最後の方に「レシピには治療薬という意味もある」っていう言葉が出てくるんだけど、本当にそうだな、と。人と人をつないで、元気を取り戻すきっかけをくれるもの。ああ、食べるっていいなって、しみじみ思ったな。
鈴木
食べることの本質に気づかせてくれるのは、フィクションのいいところかもしれませんね。
マッキー
最近はほら、食べログの点数とかだけを基準に「おいしい」が語られがちだけど、そうじゃないんだよね。思い出とか一緒に食べた人とか、そういうものとともに味が膨らんで、深みが増す。小説でいう文脈とか背景があって初めて、料理はおいしくなるんだなって、今回よくわかりました。
鈴木
豊かな食との向き合い方、大切にしたいですね。
マッキー
今日はごちそうさま!
料理の「本当のおいしさ」が
見つかる12冊。
マッキー牧元さんが味わい尽くした、絶品小説のラインナップ。
よしもとばなな『ジュージュー』
ハンバーグ
ハンバーグを通して知る「命を食べる」という本質。
両親が残したハンバーグ屋を継ぐ娘の話で、全編ほのぼのしているのだが、終盤、主人公が語る言葉にハッとする。「命を食べたり、食べられたり、その中に秘められた絶対的な力を思うとき、なにかを知る。そう、命とはつまり食べたり食べられたりするものなのだ」。ハンバーグという素朴な料理を通して食べることの本質をここまでズバッと表現できる力に感服。(マッキー牧元、以下同)
竹内真『カレーライフ』
ポークカレー・沖縄風
カレー界の常識を覆す斬新カレーの味とは?
国内外を旅しつつご当地カレーを食べまくる青春カレー小説。おなかが減ったのは主人公の祖父が作っていたというラフテーカレー。「びっくりするほど柔らかいくせに、皮のあたりのゼラチン質がむっちりした濃厚さを感じさせる。噛みしめればしっかりと肉の歯ごたえも伝わってきた」。沖縄版ポークカレーとも言うべきか、新しい発想で面白い。おでんをぶち込んだおでんカレーも気になる。
いとうせいこう『スキヤキ』
しゃぶスキ
哲学するスキヤキ、表現したくなるスキヤキ。
とにかく全国の色々なスキヤキが登場するわけだが、このしゃぶしゃぶ屋が出す「しゃぶスキ」というのは、ぜひ食べてみたい。ごく薄い“網のような”牛肉でねぎやえのきを包み、溶き卵をつけて頬張るのだという。著者いわく、「白菜の繊維や春菊の苦み、ねぎの香りやえのきのジャクッとした口当り。それらを楽しんでいる限り、いくらでも酒がすすむような気さえするのだ」。ウマそう!
村井弦斎『食道楽』
凱旋飯
時代背景が隠し味。想像膨らむ、未知の牛丼。
凱旋飯とは日清戦争後に凱旋兵をもてなした料理。「牛肉を細かく刻んで味淋と醤油と水とで煮ておきます。その中から出た汁で牛蒡人参糸蒟蒻椎茸竹の子簾麩なんぞの野菜を極く細かに刻んでよく煮ます。今度はその汁へ水を足して酒と醤油で味をつけて御飯を炊きます」。この味つきご飯の上に肉と野菜類をのせて食べるそうだが、上品な牛丼といった感じか。あれこれ想像するのも楽しい。
井上荒野『キャベツ炒めに捧ぐ』
あさりフライ
大切な料理は大切に食べる。背筋の伸びた食べ方に拍手。
「まずビールを一口。それから熱々のフライを、最初はそのままひとつ食べる。はふはふはふ。ほいひー、と江子は声に出して感嘆した。二つ目はレモンを搾って。串三本目でいちどソースをかけてみよう、と計画を立てる」。昔の恋人を思って料理を作る主人公。えらい、その通りだ、フライは最初からソースをかけちゃダメなんだ!人生経験豊かな女性の、食に対する姿勢がよい。
伊吹有喜『四十九日のレシピ』
コロッケサンド
どんな記憶よりも鮮明な、料理に刻まれた思い出。
「小ぶりだったが、コロッケにしみたソースの味は、まさに乙美の味だった。手にソースがつくのも構わず、二個目に手を伸ばす。(中略)パンの柔らかさのあとに来る、コロッケの心地よい歯触り。千切りキャベツの爽快さ。何度も夢に見た食感だった」。亡くなった妻の思い出の料理を細部までありありと覚えている夫の言葉。なにげない料理が人や記憶をつないでいる。食べるっていいな。
森沢明夫『ヒカルの卵』
卵かけご飯
「おいしい」とは何か?真理を知る卵かけご飯。
大切な鶏が遺した卵を食べる主人公。「お椀に落とした卵をよくかき混ぜて、ムーさんの言うように醤油と麺つゆを半々にして味をつけた。(中略)甘い。咀嚼した瞬間、そう思った。これまで、ムーさんにもらったどんなに美味しい卵よりも、ヒカルが命がけで産んでくれた卵は甘く感じたのだ」。命をいただくという意味を強烈に感じるシーン。究極のおいしいとは、こういうことかも。
橋本紡『今日のごちそう』
きゅうりの漬け物
「人生は漬け物のようだ」と語るには、まだ早い!
料理を通して人間同士のドラマを描く短編集。でも肝心の食描写があと一歩。「漬け物には、いい時期と、悪い時期がある。ずっと浅漬けを出してきたけれど、そればかりがおいしい食べ方ではない。時が変えてくれる。なんだって、そうなのではないか」。漬け物と人生を重ねるのはいい。でももうちょっと踏み込んで食べ物との絡みを表現してほしかった。著者の今後の“食べ込み”に期待!
田辺聖子『春情蛸の足』
お好み焼き
“完璧な”お好み焼きは、時に人の生き方を語る。
「お好み焼きの具えるべき『いかがわしさ』の要素を残らず具えている。ソースのいかがわしさ、焦げる匂いのうさんくささ、男が肩身せまく壁に向いて食べるうしろめたさ、それにもかかわらず食べずにいられない、下降志向の魔力を具えているのだ。それでいて、下品中の上品、というのがあらまほしい」。食を通して文化を掘り下げ、人生論まで語ってしまう田辺聖子、参りました!
常盤新平『たまかな暮し』
秋刀魚の塩焼き
正しすぎる秋刀魚の食べ方に白ご飯もビールも進む!
「秋刀魚を焼いているあいだに、やよいは大根おろしをたっぷりとつくって、丼に盛った。味噌汁は里芋と茗荷。お新香は秋茄子と枝豆と茗荷の浅漬。(中略)彼女は柚子のかわりにレモンをたくさん切って、これも丼に盛ると、食卓にレモンの香りがただよった」。食べることが大好きだった常盤新平らしい、白ご飯が欲しくなる描写。食後のデザートでおはぎが出てきて、もう完璧!
髙田郁『八朔の雪』
とろとろ茶碗蒸し
この世のものとは思えない、夢みたいな茶碗蒸しって⁉
「男たちは安心したように碗の蓋を取る。柚子の香りがふわっと舞う。艶々と膜を張ったように滑らかな黄の肌。それに海老の赤、銀杏の翡翠色が鮮やかだ。恐る恐る匙を入れて、客は、うっと声を洩らした」。この後の客のコメントが面白い。「とろとろと口の中で溶けちまった。夢に違ぇねぇや、こんな旨いもの、この世にあるわけがねえ」。夢かと思うほどウマい茶碗蒸し、食べたいナァ!
宮部みゆき『〈完本〉初ものがたり』
蕪汁
渋い屋台で1人食べたい粋の詰まった季節料理。
「ここの蕪汁は、小さい蕪を丸ごと使っていた。蕪の葉を少し散らしてあるだけで、ほかには具が入っていない。味噌は味も濃い色も濃い赤出汁で、独特の、ちょっと焦げ臭いような風味があったが、淡泊な蕪の味に、それがよく合っていた」。江戸の街角、小さな屋台のオヤジが作る料理はどれも粋。この後、蕪汁にすいとんを落として食べるのだが、これがまたすごくおいしそうなこと!