『小林カツ代の日常茶飯食の思想』
2020年4月からはじまった自粛生活で、忘れられない言葉がある。
「カミさんがうちにいるんだから、いくらでも対応できるだろう」
発言者は夫の上司。家のことは女に任せ、男は深夜までZoom会議に参加できて当然というわけだ。あの数か月、私に侵入し支配したのはウイルスではなく、ブルーライト越しの家父長制だった。
私には夫とふたりで人生を切り盛りしてきた自負がある。互いに好きなことを生かしてプロフェッショナルになり、長く働き続けるための方法を探して、不格好ではあるが実行に移してきた。
そこへ割り込んだ上司の発言。ジェンダー・ギャップ指数(*1)世界最底辺の日本社会はそう変わっていなかったことに改めて絶望し、考えなくてはならないことがまだまだあると分かった。
同じ気持ちを抱えてきた先達がいる。そう思い、松明のように慕ってきた本がある。
『小林カツ代の日常茶飯 食の思想』だ。
「仕事がなければ、私は目覚めなかった」と書いた稀代の料理家。女性が家事から解放され、好きな道を進めるようにとの切実な思いが、彼女にはあった。女性の人生が実り多いものになることが、子供、そして男性の人生を変えていくという信念は、料理という窓から世界を見ようと目を凝らし続けた彼女にしか書けないものだ。
女性が一日に家事にかける平均時間は年々減少してはいるものの、現在2時間24分であり、男性は19分である(*2)。さらに女性の約8割は夕食作りに30〜90分かけている(*3)というから、朝食と昼食が加われば、いったい———。
(*1)2019年12月、世界経済フォーラムが各国の男女格差を測るジェンダー・ギャップ指数を発表。日本は153ヵ国中121位で、先進国のなかでは最低。
(*2)「社会生活基本調査」(総務省/2016年)
(*3)「生活定点観測調査」(都市生活研究所/2014年)
『ラクしておいしく、太らない!勝間式超ロジカル料理』
コンサルタントとして企業の病巣を見てきた勝間和代は、これを問題視し、家事の常識を疑う。
『勝間式超ロジカル料理』のなかで彼女は、貧しかった主婦時代や、忙殺された30代を振り返る。そして、料理にかける手間を省くことが幸せを左右すると、徹底した実証実験から力強く説く。
彼女のユニークさは、極端さにある。フライパンを処分する、野菜は洗わない、塩分量の計算はAIに。極端であるということは、炎上や批判を受けて立つことである。と同時に、極端だからこそ読者は自分の軸を再確認し、取捨選択に集中することができる。
『森瑤子の料理手帖』
コロナ禍によって浮上したのは、女性に家事が集中する現実だけではない。集まって食べたがる私達の習性も、明らかになった。
『森瑤子の料理手帖』は、森の死の翌年に発売された本で、友人たちが天国の彼女へ贈った卒業アルバムだと私は思う。
英国人の厳格な夫をもち、母業と妻業をおろそかにしないことを条件に、作家として働くことを許された人。料理は彼女にとって息抜きであり、表現の一つだった。
いま見ても洒落たレシピとしつらえ。友人や家族を面白がらせたいという根源的な喜びが、写真から溢れている。人生が私という女に期待することを、全部やってみたいという森が歩んだのは、決してきらびやかな一本道ではなかった。
世界との接点を渇望し、自分を主語にして表現し続けた彼女の生き方は、閉塞的な時代にあって、清々しい。
『スタジオ・オラファーエリアソン キッチン』
人と人が出会う場としての料理をとらえ直した本に、オラファー・エリアソンの『キッチン』がある。ベルリンにあるオラファーのスタジオ内のキッチンで毎日行われる調理風景とレシピをまとめた、美しい本だ。
この本の主題のひとつは「咀嚼」である。
食物の成り立ちをつぶさに認識し、調理し、スタッフとゲストが一緒に食べる。
人間も、生物なのだ。例えばレタスを太陽光の蓄積ととらえる。咀嚼して体内に取り込まれた太陽光はエネルギーになり、インスピレーション源となる。食べることは、クリエイティブに必要な力を補うことと直結しているのだ。
それらのレシピはインスタグラム(@soe_kitchen)で世界中にシェアされている。
私の話で恐縮だが、SNSでレシピをシェアし料理を生業にしていると、思いがけない批判に出くわすことがある。軟らかくなるまで煮ると書けば、「それって何分?不親切」。しょっつるを使えば、「ナムプラーじゃだめ?」。
正解でないかもしれないことに時間を割くことを嫌がり、手を動かすことをしない。料理をつまらなくしているのは、その人自身であることに気がつかないのだ。
それは生き方への姿勢にも通じるのではないだろうか。噛み砕くことをせず、ラップに包まれたごちそうを舐めているだけなのだ。そこに解釈はない。
料理本が面白いのは、レシピのなかに暮らしを変える突破口を発見できる点にある。本気で取り組めば、生活が変わる。習慣が変わり、生き方が変わる。優れたレシピは、料理と向き合ってきた多くの人々が不具合を修正し、アップデートしてきた集合知でもある。
小林の台詞を借りれば、「私は死んでもレシピは残る」のだ。
重ねてオラファーは語る、「感覚を取り戻して、生きよう」。
年代は違えど、4人が投げかけるメッセージはひとつである。料理本を片手に鍋の前に立つとき、レシピはいつも、自らの英知をさらけ出して私達のそばにある。