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蔵前〈蕪木〉の珈琲とチョコレート。その味わいはいかにして生まれるのか

東京・蔵前。個人で営む小さな工房が立ち並ぶものづくりの町に、〈蕪木〉はある。店主、蕪木祐介さんが、カカオ豆からチョコレートを作り、珈琲豆を焙煎している。多くの人を惹きつけてやまないその味わいはどのようにして生まれるか、話を聞いた。

photo: Keisuke Fukamizu / text: Yuko Saito

自分ができることすべてを注いで向かい合うことに意義がある

「量を売ることも大切ですが、それよりも、顔の見える相手に、ふっと心がほどけていくような、何かしらの感情を受け取っていただける仕事をしたいと思っていました。そのために、珈琲もチョコレートも喫茶も、自分ができることすべてを注いで向かい合うことに意義があるのだろうと。

経営することを考えれば、一つに絞った専門店の方が、認識してもらいやすいことはわかっていましたし、中途半端に見えてしまうのではという不安もありましたが、人からどう見えるかよりも、自分の役割や目的を強く意識しました」

2016年から珈琲、チョコレート、喫茶の3本柱で店を営む蕪木祐介さんは言う。始まりは珈琲だった。動物学者を志し、故郷の福島を離れ、岩手・盛岡で暮らす大学生時代。

「盛岡には個人で営む珈琲店がたくさんあって。良いこと、辛いこと、何かあるたびに喫茶店に駆け込んでいました。そこで過ごす時間、息が整う感覚がかけがえのないものになって。珈琲の魅力と、喫茶店で過ごす時間の大切さを知りました」

珈琲の本を読み漁(あさ)り、手回しの焙煎機で生豆を焼く、珈琲漬けの日々。やがて、珈琲店で働き始め、将来の仕事にと考え始めていた時、一冊の本に出会う。カカオの産地や特性、味の違いなどが書かれたチョコレートの専門誌だった。

「そもそもチョコレートがどうやって作られているかなんて、考えたこともありませんでしたが、自分が今まで勉強してきた珈琲とすごく共通点が多かった。珈琲の知識や技術をチョコレート製造に生かせるのではないかと、興味が湧いたんです」

結果、チョコレートの道を選び、大手の菓子メーカーに就職し、カカオ・チョコレートの研究開発に携わる。それでも珈琲は続けていた。平屋を借りて焙煎所を作り、休日には豆を焙煎して飲食店などに卸す二刀流。そんな毎日を7年間続けた後、〈蕪木〉を構えた。

奥行きのある香りの珈琲と、滑らかなチョコレート

「メーカーには、長年にわたって研究してきた知見、技術と立派な機械設備がありますから、掘れば掘るほど製造理論を深めることができました。そして、試作と検証をしながら、味の探求に邁進(まいしん)することができた毎日は貴重な経験でした。

ただ、当然ですが、たくさんの人に手に取ってもらうために、誰もが手に取りたくなるような、わかりやすいおいしさや、価格が求められました。その意味も理解はしつつも、深くなっていくチョコレート作りへの執着心を抑えなければいけない部分も多くなった。そして何より、見えない誰かのためというよりも、相手の見える仕事がしたいと思ったんです」

自店で目指したのは、新しさやわかりやすさより、安心しておいしいと思える珈琲とチョコレート。どちらもシングルオリジンの豆が使われ、個性が際立ったものが評価される傾向にあるが、蕪木さんは、「わかりやすくない」おいしさに固執する。

「一口目に驚きがあるものより、一口ごとに、味が深まっていく味作りがしたいと思っています。いくつもの個性が調和して生まれる、ブレンド珈琲であったり、滑らかな口溶けで、ゆっくりと香りが移ろう色気のあるチョコレートを作っていたい」

日本のチョコレートは、世界一というくらい、砂糖の粒子が細かいのだという。日本人の嗜好に寄り添って深化してきた国産チョコレートの味作りに影響された部分も多く、その滑らかさを実現したいと考えたが、製造には苦心した。カカオ豆からそうしたチョコレート製造を行うのは、大手メーカーしかなかったため、小規模の店で求める品質を可能にする機械がない。そのため、専用ではない機械で代用して、製造している。

「大切にしているのは、3つの工程です。香りを引き出す焙煎、砂糖の粒子を舌でざらつきを感じない程度まで細かくする微粒化、そして、香りを整える練り上げ。熱を加えて長時間練り上げることで、雑味や尖った香りを飛ばして味わいを和らげ、さらに新たな香りを纏わせて、深みのある味わいに仕上げます」

蕪木さんのチョコレート製造は、とにかく手間暇がかかる。目指す味を再現しようとすると、どうしてもそうなってしまうのだという。

「細かいところまで考え続け、手を動かし続けることを大切にしています。常に意識しているのは、当たり前のことを当たり前に確実に行うこと。珈琲もチョコレートも、豆の選別など、細かく、面倒な作業が多く、近道したくなることはありますが、“ま、いいか”で終わらないことが、何かを伝えられる仕事ができるかどうかの分かれ道になると思います」

このカカオ豆の香りをどう着地させて、どんなチョコレートを作ろうか。今も、自身の目指すおいしさを自問自答し、試行錯誤の日々だ。

「地道に検証を繰り返していくだけなんです。思えば、淡々とそれを続ける作業は、学者を志して励んだ学生時代の経験が生きている。すべてがつながってそれぞれの仕事ができているんだなと、感じています」

蕪木祐介さんの思想を知る、珈琲とチョコレートの本

『チョコレートの手引』、『珈琲の表現』蕪木祐介/著
珈琲との出会いを交えながら、器具や淹れ方までを美しい写真と綴った『珈琲の表現』(左)と〈蕪木〉を構えた年に刊行した、チョコレートをカカオの歴史から解説した『チョコレートの手引』(右)。共に雷鳥社刊。

原点でもある岩手で営む、もう一つの喫茶店〈羅針盤〉

岩手 羅針盤 店内

かつて通った老舗喫茶を、その面影を残して今に。

学生時代に通っていた喫茶店の一つ、〈六分儀〉が、45年間の歴史に幕を閉じると聞き、蕪木さんが引き継いだ。人生の羅針盤のような存在になれば、とこの名に。