音楽を、分解し、再構築する。
この冬、東京都現代美術館で、クリスチャン・マークレーの国内初の大規模な展覧会が開催される。題して、『トランスレーティング[翻訳する]』。
マークレーは、1970年代末からDJとは異なる意味でのターンテーブリストとして注目を集めた後、前衛音楽から、コラージュ、サンプリングなどの手法を用いたビジュアルアートへその領域を広げながら、横浜トリエンナーレでも話題になった「The Clock」のような映像作品や、ミクストメディア、インスタレーション、パフォーマンスなど多岐にわたる作品を発表し、66歳になった現在も精力的に活動している。
そのマークレーについて、自身もポップミュージックから現代音楽まで幅広いフィールドで活躍する気鋭の音楽家、蓮沼執太氏に話を伺った。
“音を聴く”という行為に委ねるよりも
“コンセプト”が強固。
「学生の頃ですが、レコードやCDから入りましたね。当時のいわゆる音響派と呼ばれる以前の前衛音楽の人という認識でした。ジミ・ヘンドリックスやマーティン・デニーがターンテーブル上で解体された『More Encores』などの音源をよく聴いていました。ターンテーブル奏者といっても、クラブミュージックのそれとは全くスタイルが異なり、奏法のオリジナルさに魅了されましたね」
特にどこに魅力を感じたのか訊くと、「『Record Without a Cover』が特にそうですが、レコードが剥き出しになっているので、傷ついてしまう。経年とともに音と形が変わっていく。“音を聴く”という行為に委ねるよりも“コンセプト”が強固なんですよね。まずコンセプチュアルであり、さらにサウンドアート的な部分に反応していたんだと思います」とのこと。さらに蓮沼氏は、2017年のニューヨーク滞在中に、マークレーのパフォーマンスも観たという。
「一つは、ホイットニー美術館のアレクサンダー・カルダー展で観たチェリスト、オッキョン・リーとのパフォーマンス。もう一つはザ・キッチンで観たジョン・アムレーダーとのハプニング的なパフォーマンスで、ジョン・ケージの『4'33"』
をはじめ、日常のものを使ったりしたハプニング的な演目を上演していました。リビング・レジェンドなだけあって、“わあ、マークレーが動いている!”みたいな感じで観ました(笑)」
パフォーマンスという意味では、マークレーは、図形楽譜(五線譜を用いず楽曲をコード化・視覚化したもの、演奏の自由度や偶然性を高めたもの)も作っていて、展覧会の会期中には、様々な日本在住アーティストによる演奏も予定されているが、蓮沼氏も一柳慧の「IBM」のような図形楽譜の演奏経験がある。
「マンガのオノマトペを巻物みたいにした『Manga Scroll』は、奏者への明確な指示はないので、パフォーマー自身がスコアを変換していくまさにトランスレートしていく感覚がありますよね。一つの表現でいろんなことを含んでいるんですよね。視覚的な要素があり、サウンド的な要素が含まれ、身体的な要素に繋がる。その全部が相互作用して複層的になっていく。そこが面白い」
接触こそが、音の始まりだ。
一方、蓮沼氏も近くSCAI PIRAMIDEで開催されるグループ展で、音にまつわるインスタレーションを制作している。
「もともとは、神奈川県立近代美術館葉山館で発表するものだったんですが、それがコロナ禍で中止になってしまい。資生堂ギャラリーでの展覧会から制作している楽器の廃材を用いたシリーズの新作を中心にしています。展覧会のテーは“FACES”なんですが、“顔”ではなく“直面する”という意味で捉えたもの。
僕はそもそも、音の生まれる起源は“接触”だと思っています。接触がないと音は生まれない。それを再構築したインスタレーションになります。直接的に音は鳴りませんが、観る人自身が音を思い起こすような作品になっていると思います。音楽を当たり前に存在しているものとして捉えないで、分解して、再構築していく行為は、マークレーとの視点と近い部分があるかもしれませんね」
視覚的な情報としての音や、現代において音楽がどのように表象され、物質化され、商品化されているかに焦点を当ててきたマークレー。レコードやCD、コミック、映画、写真など、幅広い素材を再利用しつつ、現在までにパフォーマンス、コラージュ、インスタレーション、写真、ビデオなど数多くの作品を生み出している。