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小説に描かれた猫たち。読書家集団〈Riverside Reading Club〉が語る猫文学

家の中で、街中で、そして文学の中でも神出鬼没な猫。ラッパーやクリエイターを中心に、国内外の文芸を軽やかに楽しむ〈Riverside Reading Club〉(通称RRC)より4人が、日頃の読書で出くわした良質な猫文学を語り合った。

photo: Kazuharu Igarashi / text & edit: Emi Fukushima

語った人たち:Riverside Reading Club

Riverside Reading Clubのメンバー
リバーサイド・リーディング・クラブ/右から、主宰のikmさん、アーティストの片桐楽弥さん、古書コンコ堂の天野智行さん、バンド〈STRUGGLE FOR PRIDE〉の今里さん。

天野智行

道端で猫を見かけるとちょっと気分が上がるような感覚で、小説の中に意図せず猫が出てくると、なんか嬉しくなるんだよね。

片桐楽弥

わかります!猫を飼い始めて以来、作品の中で猫と出くわすと、辛い目に遭わないか気になるようになってしまいました(笑)。

ikm

『霧に橋を架ける』(1)に収録されている「噛みつき猫」は、まさにたまたま見つけた猫文学です。

今里

キジ・ジョンスンの作品には動物がよく出てくるよね。

ikm

不仲な両親の下で育つ癇癪(かんしゃく)持ちの少女が、懐かない凶暴な猫と出会う。その猫と過ごすことで成長し、家族との関係も変化していく物語なんですが、その猫、別に人に寄り添うわけでもなく、ただ“猫”として存在するだけで周囲に影響を与えるんですよね。猫の小説って、そのパターン多くないですか?

片桐

たしかにそうかも。

ikm

『猫のパジャマ』(2)もそう。捨て猫を男女が同時に見つけて、どっちが連れて帰るかで揉めるんですよ。「俺、猫の記事書いたことあるから」「いや、私キャットショー仕切ったことあるし」と“猫マウント”も取り合っていくうちに、徐々に距離が近づくんですが、その間も猫は、ミルクを飲んで、眠るだけ。

今里

犬で描かれていたら、2人を結びつける何らかの働きをしそう。

片桐

RRCのメンバー間でも流行った『プレーンソング』(3)も同じ。著者が愛猫を失った悲しさを一掃すべく書いた小説ですが、登場する野良猫はただ家の前に現れるだけ。

天野

でも描写には情感がこもっているよね。“うっかり動作を中断してしまったその瞬間の子猫の頭のカラッポがそのまま顔と何よりも真ん丸の瞳にあらわれてしまい、世界もつられてうっかり時間の流れるのを忘れてしまったようになる”の一節なんて、愛が溢れ出てる(笑)。

ikm

猫愛を感じるといえば『その猫の名前は長い』(4)も。猫が出るのは一瞬だし、喉を鳴らして座っているだけ。でも題名に立つくらい存在感のあるモチーフになっている。

片桐

あらすじを読む限りでは、猫は全然出てこないですね(笑)。

ikm

モデルは作家の飼い猫で。だから勝手な想像ですが、猫を愛しているから作品に出さずにはいられず、出せば自然と重要なモチーフになり、タイトルになり、最終的には短編集の表題作になったのかな(笑)。

天野

『猫語のノート』(5)によれば、猫にはお返しの義務がないのだと。その在り方が、“何もせずただ存在しているだけ”という小説への出方にも反映されるんだろうな。

ikm

愛する存在であればこそ、作家も脚色せず描きたくなるだろうし。

天野

詩人の平出隆さんの描き方は美しかったな。私小説『猫の客』(6)に出てくるんですけど。

片桐

学生時代に平出さんの授業を取っていたんですが、この作品は読んだことがなかった。

天野

東京の郊外に立つ屋敷の離れで借り住まいをする主人公夫婦の元に、隣家の猫が遊びに来るようになるという物語。とにかく文章が良いんです。“チビは徐々に、少し開けた窓の隙から、小さな流れがくり返し、あるかないかの傾斜を浸して伸びていくように、こちらの生活に入ってきていた”の一節とか。

片桐

日常を丁寧にすくい上げていく言葉がすごくいいですね。

天野

徐々に交流を深めながらも、夫婦は自分の猫ではないから常に別れを意識して接するんです。と同時に時代もバブル崩壊に向かい、借り暮らしの終わりも見えてくる。静かな生活の終わりと猫との別れが端正に語られる、素晴らしい作品です。

猫は果たして、人間の“バディ”になり得るのか

天野

小説の猫は特に何もしない。となると、犬みたいに人のバディとしては描かれづらいのかな?

ikm

たしかに犬に比べると少なそうですが、『猫の街から世界を夢見る』(7)では、人間の相棒ぽいポジションで猫が活躍するんですよ。

天野

ああ、そうなんですね。

ikm

「夢見る世界」の大学教授が、「覚醒する世界」に出奔した学生を追いかけ冒険するファンタジーなんですが、唯一2つの世界を行き来できるのが主人公の猫なんです。

今里

ガイドしてくれる感じだよね。

ikm

そう、だけど別に助けてくれるわけでもなくて(笑)、猫特有の人との距離感が表れている。

天野

対人じゃないけど、児童文学の『ルドルフとイッパイアッテナ』(8)はある種猫同士のバディもの。

今里

うわ、懐かしいね!

天野

最終的に、街中を自在に歩き回る野良猫が暴力的な飼い犬に一泡吹かせるっていう構図に、猫のイメージが表れているなと(笑)。

ikm

ある意味、“自由”とか“不服従”の象徴ですよね。アナキズムのシンボルとしても登場する。

天野

その文脈で音楽のジャケットに猫が描かれてることも多いね。

今里

『本の本』(9)はまさにジャケの猫を眺める感覚で読める一冊。楽曲を元ネタにした架空の絵本の表紙と、その解説が綴られる作りで。

ikm

コンセプトが面白いですね。

今里

絵の中に猫が出てきたり、動物たちの権利を考えさせる解説が添えられたりもする。かわいがるだけじゃなく、彼らを取り巻く環境を考えることも大事かなと。あと特殊だけど、大山のぶ代さんのエッセイ『ぼく、ドラえもんでした。』(10)も猫文学、ってことでいい?(笑)

ikm

ドラえもんっていう猫と長年バディを組んできたわけですもんね。

今里

まあ猫は出てこないんだけど。

ikm

でもよく考えれば、ドラえもんって、のび太を完全には助けないところに猫性が強く出ている。

天野

たしかに(笑)。犬型ロボットなら甘やかしてしまいそう。

ikm

現実でも物語でも、コントロールできないのが猫。人と対等な関係を築けるところが魅力的ですよね。

今里

ドラえもんの場合は、のび太より圧倒的に強いけどね(笑)。