敬愛するニール・サイモンの作品を演出。
もしも、三谷幸喜がニール・サイモンに出会わなかったら、日本の演劇はかなり寂しいものになっていただろう。
「ニール・サイモンは、ある意味、僕の恩人でもあるんです」と語る三谷さん。
サイモンはアメリカを代表する劇作家。小粋なセリフとハートフルな作風で日本でも人気が高く、たびたび上演され、彼の多くの戯曲は映画化もされている。三谷さんは大学生の時に、『おかしな二人』(福田陽一郎演出)で初めてサイモンの舞台を観た。
「僕は映画が好きで、脚本を書くには舞台の勉強もしておいた方がいいだろうと大学は演劇学科を選びました。ところが、学校で教わるのは、シェイクスピアやチェーホフ、ベケット、清水邦夫さんなど難解なものばかり。僕は演劇に向いていないのかなと悩み始めていた頃、『おかしな二人』に出会い、観たかったのはこれだ!と思ったんです」
テレビっ子だった三谷さんにとって、杉浦直樹や石立鉄男ら、テレビでお馴染みの俳優が出演していたことも魅力だった。
「『おかしな二人』は僕の原点です。あれを観ていなかったら、たぶん演劇を始めなかったと思う」
そうして、在学中に劇団を立ち上げた。劇団名はサイモンの作品をもじり〈東京サンシャインボーイズ〉に。ずっと敬愛してきた劇作家だが、三谷さんがサイモンの戯曲を演出したのは7年前の『ロスト・イン・ヨンカーズ』のみである。
「好きすぎて腰が引けたところもありますが、ニール・サイモンは僕が作りたい舞台にあまりに近いので、それを演出するというのは、逆に想像がつくというか、未知数のワクワク感があまりなかった。だからやるとしたら、あえてあまりポピュラーではない作品を選びたいと思っていました。僕が書きそうにないようなものを」
そして12月、再びサイモン作品の演出に挑戦する。今回選んだのは『23階の笑い』。
1950年代のニューヨーク、テレビ業界で格闘するコメディアンと放送作家たちの物語だ。若い時分に放送作家だったサイモンの実体験も反映されているらしい。
「僕も学生の頃からテレビの放送作家をしていたので、主人公に重なるところがあります。今、テレビ界は制作環境が制限されて、元気がない。最近、配信ドラマ『誰かが、見ている』をやらせてもらったのですが、すごく自由な雰囲気があった。脚本に1年かけ、お客さんを入れて生のシットコムを撮影し、編集もじっくりできた。
とにかく時間のない民放のテレビとは何もかもが違っていました。僕はテレビで育ったので、テレビを見捨てる気はないけれど、心中しようとも思っていないんです。『23階の笑い』は、テレビが元気だった頃の話。そして、そのテレビ界に取り残された人々のドラマです。
彼らをきちんと描くことが、今、滅びつつあるテレビそのものへのオマージュにもなるんじゃないかって思っています」
勢いのあった50年代のアメリカのテレビ業界に肌感覚で近いのは日本の80年代。欽ちゃんや加トちゃんケンちゃん、ひょうきん族のメンバーがしのぎを削ったあの空気感を取り入れたいと画策している。
今、エンターテインメントの世界では時代が次のステップに入ろうとしているのをすごく感じています。技術の進歩もコンプライアンスの問題も含めて、僕自身も取り残されていくんじゃないかと感じることがある。自分では中堅くらいのつもりでいたら、いつの間にかベテランと呼ばれる年になっちゃって、“老害”なんて思われたくないから(笑)、踏ん張らないと、と思っています。
時代が新しくなる時、前の時代の作り手たちへのリスペクトは忘れちゃいけない。彼らがいたから僕らがいるということをきちんと伝えていきたいです」
ニール・サイモン作品の特徴の一つは膨大な量のセリフ。気の利いた言葉の激しい応酬に、「リアルじゃない」と批判する人もいるのだとか。しかし、話が面白ければリアルかどうかなんて気にならない。世の中には生々しいほどリアルな作品が溢れており、三谷作品やニール・サイモンのような、物語に没入する快感をもっと得られたらと思ってしまう。
「日本は明治時代、近代文学も私小説から始まっているので、リアリズムに重きを置かれますよね。映画やドラマもリアルが基本。僕みたいに総理大臣が記憶喪失になる話(映画『記憶にございません!』)をやろうなんて誰も思わない。リアリティのかけらもないですから(笑)。
60〜70年代は『木下恵介アワー』など、身の回りにいるような人をドラマにしていました。そんななか、市川森一さんがある種のファンタジー要素をドラマに取り入れた。『ダウンタウン物語』(81年)なんて、スナックの歌姫(桃井かおり)と牧師(川谷拓三)の恋物語ですから!(笑)
視聴率は良くなかったけれど、僕は大好きでした。市川さんやニール・サイモンから受け取ったバトンを、僕は継いでいきたいと思っています」
新型コロナにより、生活に制限がかかっている今こそ、想像を自由に広げる「物語」は強く求められるのではないだろうか。
三谷さんが薦める今観るサイモン作品。
『おかしな夫婦』
監督:アーサー・ヒラー/出演:ジャック・レモン、サンディ・デニス/1970年製作/NYに栄転になった夫とその妻が、トラブルの連続で田舎からなかなか辿り着けない一日を描く。
「サイモンはきっと舞台ではできないことをやりたかったんだろうなと思いました。本当に面白かった」
『名探偵登場』
監督:ロバート・ムーア/出演:ピーター・セラーズ/1976年製作/大富豪のもとに招かれた、世界の名探偵5人。
殺人事件が起こり、真相解明を競う。探偵小説の人気キャラたちを模したパロディ映画。「僕もこれと同じアイデアの8㎜映画を学生時代に撮りました。サイモンより前に!」
『グッバイガール』
監督:ハーバート・ロス/出演:リチャード・ドレイファス、マーシャ・メイソン/1977年製作/男運のないシングルマザーのダンサーと、同居することになった売れない役者の恋物語。
「屋上で手料理を彼女に振る舞うシーンに憧れて、好きだった女性にやってみたらフラれました(笑)」
『名探偵再登場』
監督:ロバート・ムーア/出演:ピーター・フォーク/1978年製作/『マルタの鷹』と『カサブランカ』のパロディ。
「『23階の笑い』の名コメディアン、マックス・プリンスのモデルとなった、シド・シーザーが出ています。テレビ界の大御所ですが、映画にはほとんど出てないので貴重です」
以前、漫画家の浦沢直樹さんと対談させていただいた時、“面白い物語が少なくなってきている。面白い物語を描きたいんだ”とおっしゃっていて、とても共感しました。僕もそう。極端なことを言えば、人間を描くなんてことよりも(笑)、まず面白い話を作りたい。日常を忘れるような面白いものを書きたいんです」
三谷さんは、目下、2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を絶賛執筆中。
「よく、キャラクターが自然に動きだすと言う人がいますが、僕も長く書いていますけど、まずない。そういう経験をしたのはたった2回。『コンフィダント・絆』(07年)とNHK連続人形活劇『新・三銃士』(09〜10年)だけです。
大河は、歴史的な事象など説明しなければいけないことがたくさんあるので、気を抜くと事象の羅列になってしまいます。それだけでも45分もたせることはできるけど、それじゃつまらない、どうにか“物語”として面白く見せたいと、1話ずつ頭をひねり、工夫を凝らしているんです」