そのわからなさに、はぐらかされ続ける楽しみ。
子供の頃から職業として演じていた私にとって求められる動きや感情を常に考えてきました。できて褒められる嬉しさの一方、この繰り返しがずっと続くのかと不安になった時期があります。芝居の引き出しを増やすつもりで映画を観ていた中学時代、相米慎二監督の『台風クラブ』と出会いました。
これがすごい衝撃で。演技がうまいとかへたとかではない。リアリティがあるというのとも違う。出てくる人たちみんな、座り方から動きから何かがちょっと変なんだけど、瞬間それしかない動きを見せる。これはすごい生き物を見たなと驚いて。こういうアンコントローラブルな状態になるには私はどう努力し、何の訓練をしたらいいんだ?そこからオーディションでは頭で考えることをやめ、ただただ脚本を読むことに徹しました。なかなかうまくいかず落ちまくったんですが、初めていいと認められたのが今の事務所のオーディション。
その方法が身についていたことで濱口竜介監督の『偶然と想像』のオーディションを受けたとき、『ドライブ・マイ・カー』のみさき役の方で声がかかりました。結果的に相米監督から受けた衝撃が後に濱口監督に繋がったわけですが、実は最近まで濱口監督が相米監督の映画を敬愛されているとは知らなかったんです。
去る9月9日の没後20年の命日に刊行された2冊の本のうち、『相米慎二 最低な日々』のエッセイを読んで感じたのは、はぐらかしの名人だなということ。私は頭を一生懸命使うタイプで、理由が大事。でも、相米さんの文章はそういうものでは埋められないものがある。質問に答えているようで簡単にはつかませないぞという意思を感じます。
演出もそうですよね。『相米慎二という未来』を読むと、何度もリハーサルを繰り返して、俳優たちの考えをゲシュタルト崩壊みたいに壊し、反射的に出てきた動きを大切にすくい取る。そのうえで、観客にさらにわからなさを残す。それは『ドライブ・マイ・カー』で濱口監督から受けた「これを別にやってもいいし、やらなくてもいい、なぜなら正解は演じるあなたの中にありますから」という言葉と共通した姿勢を感じます。
相米監督が実践した俳優ファーストの映画作りは俳優をとことん観察し、その変容を鮮やかに記録した。演出を受けてみたかったと思いますが、今回の本で触れることができました。