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井川直子、武田砂鉄の忘れられない朝食の話

きっと誰にでも、忘れられない朝食がある。子供の頃に毎日食べていた母の味、旅先で食べた特別な朝食……。今はもう食べられないけれど、思い出すだけでお腹が満たされる。そんな朝ごはんの思い出を、武田砂鉄、井川直子が綴る。

初出:BRUTUS No.920「最高の朝食を。」(2020年7月15日号)

Illustration: Kenji Asazuma

井川直子 
揚げすぎた翌朝のてろてろ、くたくた天ぷらの煮物

子どもの頃、台所から天ぷらを揚げる匂いがすると、晩ごはんを飛び越えてもう明日の朝食が楽しみで仕方なかった。母はいつも揚げすぎる。そして残ったら翌朝甘辛い煮物になる、と決まっていたから。

うちの天ぷらは上品な薄衣などでなく、すこしやわらかな、ほんわりと卵の香りがする衣。熱々をさくっと齧るおいしさもあるけれど、だしと醤油、みりんで煮たそれはてろてろのくたくたになって、油とあいまってこくが出る。

海老のようなスターは食べきってしまうので、余るのはさつまいもやなす、ラッキーなら玉ねぎのかき揚げといった地味な脇役。だけど朝はこっちが主役だ。野菜の甘味に煮汁の旨味が忍び寄り、昨夜の一本気な味とは別物になる。

本来の料理じゃない二つ目の味というか、こういう、おまけみたいな翌朝シリーズがどうにも好きで。コロッケは丸ごと煮て卵とじにすると、じゃがいもが一段となめらかになる。やがて大人になった娘は、それによく似た状態が“ピュレ”と呼ばれることを知るのである。

井川直子「揚げすぎた翌朝のてろてろ、くたくた天ぷらの煮物」イメージイラスト

きりたんぽ鍋の翌朝は、たんぽが汁を吸い切って膨らみ、もう一度温めるとごはんがほどける。秋田の人ならたぶん9割、子どもがクリスマスの朝に急いで枕元を確認するように土鍋の蓋を開けるに違いなく、母はこれに追いセリや油揚げを加えて卵を落としたりしていた。

翌朝シリーズは、前の晩に作りすぎたおかずがなければ存在しない。家族にたくさん食べさせたいからつい作っちゃう、お母さんの気持ちから生まれる朝食だ。自分のために天ぷらを揚げすぎようなんてあまり思わない娘は、だからもう何十年も天ぷらの煮物を食べていない。

武田砂鉄 
一人暮らし時代のコーンフレーク

自分が一人暮らしをしていたのは、22歳から24歳くらいまでの3年間程度で、朝食は近くのスーパーで買ったコーンフレークのプレーン味かチョコ味と決まっていた。

信号を渡ったところにあるスーパーで、牛乳1L×2パックとそれぞれの味を3袋ずつ買う。なぜ3袋ずつかといえば、キッチンの上のところにある収納スペースに入るのが、縦に3袋、横に2袋だったから。

プレーンとチョコを交互に食べていく。昨日はプレーンだったから、今日はチョコ。昨日はチョコを食べたから、今日はプレーンを食べよう。出版社で働き始め、日に日に忙しくなっていく。昨日はプレーンだったっけ、チョコだったっけ。徐々に気にしなくなっていく。

ちゃんと交互に食べていけば、両方の味が同じタイミングで無くなるはず。チョコがもうすぐ無くなりそうなのに、プレーンが3割くらい残っていたりすると、「あっ、これは、自分、だいぶ疲れているな」と自覚する。
コーンフレークが自分に発する危険信号。「服装の乱れは心の乱れ」なんて言葉は信じないが、「コーンフレークの乱れは心の乱れ」、こっちは信じていた。

武田砂鉄「一人暮らし時代のコーンフレーク」イメージイラスト

いまだに、旅先の朝食バイキングなどでコーンフレークを見かけると、つい、手に取ってしまう。妻から「なんで、こんなにいっぱいあるのに、わざわざコーンフレーク?」と聞かれるのだが、あの頃を思い出すからだ。

袋をひっくり返して、底にたまったカスみたいなのも入れて、それにむせていた朝はとても疲れていた。やがて、会社員生活に慣れると、プレーンとチョコが同時に無くなるようになったのだ。