これだけあればどこかに入れるはず
今から20年前、出版社への就職を目指していた大学生の自分は、片っ端から新卒採用のある出版社に履歴書を書いていた。どこでもいいから出版の世界に潜り込みたかった。とはいえ、面接で「どの会社でもいい」とは言えない。「御社で仕事がしたくてたまらないんです!」という気持ちを噓でも調達しなければならなかった。
その出版社で今、ベストセラーになっている本の感想を述べたところで印象に残らない。面接官を務めるのは、大抵、現場での仕事を終えた管理職が多く、そういう人は「ったく、今の業界はヌルい、自分たちの頃は……」と語るのが好きなはずだから、その出版社の20〜30年前の刊行物を探り、それを話題に出すのがいいのではないかと企んだ。なかなか姑息な手段だ。だが、「えっ、キミ、詳しいね」と前のめりになる面接官が確かにいたのだ。
当時、出版業界は今よりもだいぶ狭き門で、『マスコミ就職読本』などを買い揃え、昨年は面接でこういう質問が出たらしい、役員が出てきたら最終面接だと考えていいといった情報にいちいち動揺していた。
週刊誌記者が書いた風雲録のような本や、数々の小説家を相手にしてきた編集者が書いた本、ファッション誌の編集長による仕事術の本など、自分の行きたい業界の本を、机の後ろにある、代わり映えしない木の本棚に並べていた。応募している出版社が刊行する雑誌も複数買い、本棚に入るだけ突っ込んでいった。
20社くらい受けたものの、どんどん落ちていく。デスクトップに出版社ごとにフォルダで区分けしていたのだが、「落ちた会社」という残酷な名前のフォルダに移していく。残っているのはもう数社になってしまった。
コンビニエンスストアに行くと、自分を落とした出版社の雑誌ばかりが並んでいて、苛立ってくる。ちなみに本誌も含むマガジンハウスの雑誌を心地よく開けたのは、その年、新卒採用がなかったから。「やっぱりマガハだよね!」なんて思っていたが、採用がなかっただけだ。
就職活動が始まってすぐ、本屋で見かけて塩澤実信『出版社大全』を買った。大学生にとって5000円は大金だったが、900ページ近い大著に、120もの代表的な出版社の歴史がまとめられていた。出版社のウェブサイトには載っていない正直な歴史を学び、「現場での仕事を終えている管理職」に向けて話す内容を考えた。
出版社の新卒採用がほとんど終わった8月、河出書房新社から内定をもらった。二度ほど倒産した経験を持つ出版社だが、その歴史を饒舌(じょうぜつ)に話せたのは『出版社大全』のおかげだ。10年勤め、ライターとして独立して10年が経つ。今、あちこちの出版社と仕事をするようになったが、新しく仕事をする時には、いまだに『出版社大全』を開く。「えっ、どうしてそんなこと知っているんですか?」「いやいや、まあ、それは」とはぐらかすのだが、さっき、家で『出版社大全』を読んだからだ。
5000円の本を勢い任せに買った日のことを思い出す。表紙には出版社の名前がずらりと並んでいて、これだけあればどこかに入れるはず、と根拠なく信じ込んだ。長い月日が流れたが、まだ本棚のいい位置にある。