文机に並ぶのは、ベトナムの関連書籍
茅ヶ崎海岸からラチエン通りに入って少し歩いたところに開高健邸はある。1974年、44歳のときに東京都杉並区から移住し、89年に58歳で亡くなるまでの約15年間を過ごした家だ。没後、遺族が茅ヶ崎市に寄贈し記念館となったが、現在も、主が元気だった頃の姿をそのままとどめている。
開高健記念会理事の森敬子さん(森さんは開高番の編集者でもあった)は言う。「家の設(しつら)えはそのまんまなんです。そして、先生の蔵書はもちろん、愛用していたたばこやパイプ、万年筆といった身の回りのものや海外で買ってきた土産物、ありとあらゆるものがそのまま全部遺されているんです」
確かに、書斎を覗くと、さっきまでそこで執筆していたかのよう。「ちょっと泳ぎに行ってきますワ」と言って出かけたんじゃないかと思うほどだ。
開高は生前、大変な読書家だったという。「フランス文学、SFやミステリー、捕物帖、時代小説、江戸文学、幻想小説、ディストピア小説。ジャンルを問わずなんでも読んでいたんです」。昭和5(1930)年生まれ。子供の頃から文学少年だったが中学生の頃は戦時中。空襲や空腹で読書どころではなかったはずだが、小説や詩や戯曲、翻訳、雑誌、秘密出版の春本に至るまで読んで読んで読み続けていたという。
「とにかく読まずにはいられない人だったんです。先生は旅に出ることが多かったんですが、そういうときは必ず聖書を持参してました。それから、辞書も細かく読んでいました。いろんなことを徹底的に調べ上げる人だったんです。ですから、お酒が大好きでおいしいものが大好きという豪快なところがある半面、とってもセンシティブ。執筆時はほかの本が視界に入らないようにしていたんです。机の横の本棚にカーテンがあるのは背表紙が見えないようにするためでした」
しかし、執筆していた文机(ふづくえ)には目に見える位置にベトナム関連本が並ぶ。「これは特別なんです。先生は1960年代に2度ベトナムを訪れていますが、もう一度、ベトナムをテーマに書きたいと考えていたんじゃないかなと」
1964年、開高は「作家としてアジアの戦争を見届けたい」とベトナム戦争に100日間従軍。前線ではベトナム兵に包囲され、九死に一生を得た。帰国後はルポルタージュ『ベトナム戦記』を発表、「ベトナムに平和を」と反戦の声を上げ、戦場での過酷な経験を基にした小説『輝ける闇』を上梓、小説家として大きな転換点を迎えた。その後、再びベトナムをテーマとする小説『夏の闇』を執筆。そして、シリーズ最終章として『花終る闇』を書き始めたが未完に終わった。
生涯、ベトナムが、戦争の「闇」が心の中にあり続けた開高健。背中を丸め机に向かう姿が見えた気がした。