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いまも出会える、日本文学研究者のドナルド・キーンが遺した本棚。東京・十条〈北区立中央図書館〉

あの人はどんな本をどんなふうに読んでいたのだろう。いまはもう会えないけれど、その人が遺した本棚を覗けば、不思議と「会える」感じがする。日本文学研究者のドナルド・キーンの本棚を巡ってみた。

photo: Kazuharu Igarashi / text: Izumi Karashima

残された本に残された文字

ある日、The Tale of Genji(『源氏物語』)という題の本が山積みされているのを見た。こういう作品があるということを私はまったく知らなくて、好奇心から一冊を手にとって読み始めた。挿絵から、この作品が日本に関するものであるに違いないと思った。本は二巻セットで、四十九セントだった。買い得のような気がして、それを買った。

──ドナルド・キーン著『ドナルド・キーン自伝 増補新版』より

東京都北区立中央図書館には日本文学研究者ドナルド・キーンの蔵書を閲覧できる「ドナルド・キーンコレクションコーナー」がある。北区西ケ原に40年以上暮らし、旧古河庭園や霜降銀座商店街をこよなく愛したキーン。2010年の国民読書年に、同図書館に寄贈を申し出たという。

職員の松元宙子さんは言う。「先生は当時、日本への永住帰国を決め(後に東日本大震災を機に帰化を決意)、ニューヨークのアパートを引き払うことにしたんです。でも“西ケ原の家は手狭で本が全部入らない。図書館に寄贈して、多くの人に読んでもらい、たまには自分も立ち寄って見ることができるとうれしい”と」。

図書館への寄贈はよくあるが、倉庫に“死蔵”となることが多いという。そこで松元さんは、正岡子規、石川啄木、谷崎潤一郎、川端康成、司馬遼太郎、安部公房、三島由紀夫などの作家や、源氏物語、明治天皇紀、日記文学など、キーンが研究対象とした本を選出してもらったという。

「翻訳本も合わせて788冊寄贈いただきました。全蔵書の一部ですが、先生がおっしゃったように、多くの人が手に取って読める“生きた本”となるよう、書斎のような空間を作りました」

オープンは2013年。「自分の家だとどこに何があるのかわからないけど、ここは整理されているのでわかりやすい」とキーンは喜んだという。「先生の自宅からバス1本ですから、18年頃までは時折いらっしゃっていたんです。日記文学の研究に必要だからと高見順の本をご覧になっていました」

面白いのは、多くの本にキーン自身の書き込みがあること。鉛筆で英語や日本語で書かれており、ちょっとしたイラストが描かれているものもある。「例えば、正岡子規を先生がどんなふうに読み、何に気づいたのか、その書き込みを読み込んでいくことで、また新たな発見があったりするんです」

キーンが日本文学に触れたのは第二次世界大戦中。コロンビア大生時代に、アーサー・ウェイリー訳の『源氏物語』を読んだのが最初だった。主人公の光源氏がヨーロッパ的なマッチョではなく、深い悲しみを知る美しき男であることに驚嘆、脅威的な軍事国家だと思っていた日本への認識が変わったという。そして、日記文学がキーンのライフワークとなったのは、戦争中に日本語の文書を翻訳する部署に配属され、戦死した日本兵の手帳に書かれた日記を読み感銘を受けたからだった。

現在、東洋大学とキーンの蔵書約7000冊を整理するプロジェクトが進行中。そろそろ完了するという。「どんな本があるか分類してリストを作り、それがどこのどの棚にあったか復元できるようにしているんです」。キーンの本棚とその思いは生き続ける。