京都〈誠光社〉店主・堀部篤史さんによる、“読む本棚”案内

本棚について考えるとき、指南役になるのも、また本である。ページをめくれば、古今東西の賢人たちの本棚を追体験できる。京都〈誠光社〉店主の堀部篤史さんによる、“読む本棚”案内。

photo: Yuki Moriya / text: Atsushi Horibe

書物の中に本棚を読む、というのは、どこか合わせ鏡の中に足を踏み入れるような、活字の深淵を覗き込むような話である。本棚に収められた本の中に本棚がある、その無限性から多くのビブリオマニアが連想するのはボルヘスであろう。

『バベルの図書館』で著述される、コンマやピリオドなども含めた25種の文字を組み合わせて構成された、中にはまったく無意味な文字の羅列も含む、ありとあらゆる可能性の書物が存在する図書館はまさに天文学的な存在。クリストファー・ノーランの映画『インターステラー』で五次元に通じる書棚からボルヘスの選集がこぼれ落ちた、あの気の遠くなるようなイメージだ。あり得る書物という無限の可能性をすべて呑み込む図書館とはまさに宇宙そのものである。

『みすず書房旧社屋』潮田登久子/著
『伝奇集』J. L. ボルヘス/著 、鼓直/訳
言わずとしれた『バベルの図書館』収録。限定された文字数、限定された紙幅の中で考え得るあらゆる本が並ぶ図書館という、数学的な思考法が幻想的なイメージにつながるあたりが面白い。岩波文庫/935円。

ボルヘスの可能性をもう少し矮小化して考えてみても、この世界に少なくとも50冊以上が並ぶ蔵書に、同じものが二つとして存在するのかどうか。それは宇宙規模の図書館を反転させた、人間それぞれの知性や関心の個別性を表すようでもある。

有償の書物を入手し、並べるという行為には2通りのベクトルが考えられる。一つは、内田樹が『街場の読書論』で綴ったように、「他者からこう見られたいという欲望」が駆動し、選書した結果表れる自我の外部化。もう一つは、自分自身の関心事や興味、得た知識を可視化するためのマッピング、つまり思考の整理整頓である。

例えば作家や学者のように、書物から書物を生み出す仕事を持つ人間にとって、書棚とはデスクの延長であり、ペンの一部でもあるだろう。自分自身の脳内の延長ともいえる。

ロラン・バルトやサガン、レヴィ=ストロースらフランスの作家や思想家たちにその執筆スタイルや環境を聞いたインタビュー集『作家の仕事部屋』において「右側の壁には古典の書棚、左の壁には、専門別に分類された批評ないし《参考書》の書棚。

隣室の四方の壁面は現代のエッセーや小説でびっしり埋まっています」と語る作家エルヴェ・バザンなどは、機能主義的な書棚の極北か。本棚の整理整頓が創作への助走だとすれば、本棚未満のアイデアの整頓も仕事術であり、書棚そのものの縮小版と言えるのではないか。

買い物やTODOリストから、物価、箇条書きの手紙など、アーティストたちが遺したありとあらゆる「リスト」を紹介した『Lists』などは、具体的に書物のリストを扱っておらずとも、「頭の中の本棚」を垣間見るようで面白い。記憶しきれないものを箇条書きにし、俯瞰、その一つ一つを順番に消化していく。この作業がいまだに古びることなく受け継がれているのだとすれば、電子書籍がどれほど普及しようとも紙の本と書棚がなくならない一つの理由として考えることもできるのではないか。

作家の書棚を覗き見することは、その作品の本質に別のアプローチで触れるようで、その作家のファンであればあるほど楽しい。ジョン・ウォーターズの書棚などは、その蔵書のみならず、本棚のあちこちに仕掛けられたキッチュなオブジェ類も含めて彼の作品そのものである。食品サンプルのようなフェイクフードがあちこちにディスプレイされたさまは、場違いなものこそキッチュ、というジョン・ウォーターズ美意識全開。

『向田邦子 暮しの愉しみ』に収録されている「向田邦子が選んだ食いしん坊に贈る100冊」には、編集的な観点から自分の仕事にも大きな影響を受けた。「食」というキーワードのもと、夏目漱石からロビンソン・クルーソー、レシピ本に数多くの食随筆まで、その引き出しの多さと、向田審美眼に貫かれたセレクトは見事である。実際には向田さんの書棚はかなり雑然としていたようだが。

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