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編集者・島田潤一郎の、絶対に捨てられない1冊。ミシェル・フーコー『言葉と物 ―人文科学の考古学―』

ずっと本棚に並べておいて、時折開きたくなる本がある。幼き日に世界を広げてくれた児童書に、不思議な縁で結ばれた小説、自分の指針となった哲学書。編集者、〈夏葉社〉代表・島田潤一郎さんの、どうしても手放せない1冊とは。

illustration: Fukiko Tamura / edit: Emi Fukushima

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小説家を志す自分を安堵させた絶望の書

タムラフキコ イラスト
『言葉と物 ―人文科学の考古学―』ミシェル・フーコー/著、渡辺一民、佐々木明/訳
1966年にフランスで発表されたミシェル・フーコーによる哲学書の日本語訳。西欧の思想史を批判し、「人間の終焉」を示唆したことで20世紀の思想に多大な影響を与えた。新潮社/絶版(現在は新装版が発売中)。

いやなことがあったり、絶望しているときのほうが本が読める、と気づいたのは大学を卒業しフリーター生活も板についてきた二三、四歳のころのことだ。身も蓋もない言い方をすれば、現実がしんどいから、集中して本を読むのである。考えたくないし、思い出したくもないから、普段以上に神経を研ぎ澄ませて、活字の世界に入り込む。

フーコーの『言葉と物』は失恋しているときに読んだ。それまで哲学書なんてほとんど読んだことなかったのに、最初から最後まで、「なるほど」と深くうなずきながらページをめくった。

フーコーは「エピステーメー」という。それは我々の言葉や考え方を規定する、目に見えない、知の枠組みのようなものであり、何人たりともその枠の外へ出ることはできない。わたしたちは言葉を自由に用いて、なにかを表現したり、批評したり、しゃべったり、歌ったりしているように見えるが、それはあくまでこの「エピステーメー」に従ってであり、わたしたちは決して自由なんかではない。

それは読む人からすれば気が滅入るような指摘であるかもしれないが、若いぼくにとっては心の底から安堵するようなことでもあった。それはつまり、世の中には飛び抜けた天才など存在し得ないということであり、みながみな、同じような言葉をつかい、同じような考え方で、なにかをつくったり、表現しているということなのだった。

そのころ、ぼくは小説家を目指していた。毎日がとても苦しかった。

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