崖から飛び出すように浮かぶ青い箱。箱の隅を欠くキューブ状の凹みや、箱の底にある丸い出っぱりは、いつか別の物体と合体しそうにも見える。1973年公開の映画『ゴジラ対メガロ』にも登場したというその姿は、今見ても未来的でスタイリッシュだ。
この住宅を設計した宮脇檀(まゆみ)は「カッコよければすべてよし」を口癖とする建築家だった。
「ラジカセが欲しいと言えば、“カッコよければ買ってもいいよ”と返ってくる。子供の頃、父が何事にもデザインを優先するのが嫌で“デザイン大嫌い!”と怒ってしまったこともあります」と宮脇の長女、彩さんは言う。
建築のみならず本人もスタイリッシュだった。衣服もおしゃれ、車好きで旅好き、料理も上手、そして交友関係も幅広かった。
この住まいのクライアントは、そんな宮脇人脈を感じさせる人物だ。写真家・早崎治。東京オリンピックのポスターを手がけたことでも知られる一線級のクリエイターで、宮脇の友人だった。竣工時に、宮脇は35歳、早崎治は38歳。設計は「“この敷地なら面白い家できるよナ”“そりゃできるさ”」という、友人同士のやりとりから始まったという。
ブルーとグリーンに塗り分けた外装は、早崎のレース用ミニクーパーの色から。車庫の壁には早崎のレース仲間でグラフィックデザイナーの山下勇三による壁画も描かれた。
その鮮やかなカラーリングから名前は〈ブルーボックスハウス〉。宮脇が70年代から展開した「ボックスシリーズ」の代表作の一つだ。これは複雑な生活空間を単純な箱の中に収めた、一連の都市型住宅のこと。プライバシーと開放感を両立させた構成が特徴で、都心への人口集中が進む高度経済成長期、限られた敷地に家を建てざるを得ない当時の住宅事情に適した提案だった。
カッコよさと住み心地を追求した、欲張りな箱
宮脇の設計する建物は見た目こそスタイリッシュだが、中身は住み手の身体感覚に従ってできている。「父はお施主さんに家をどう使うのか詳しく尋ね、気づいたら長居をしてしまうような心地よい空間をつくろうとする建築家でした」と彩さん。宮脇の事務所では、家族構成から食事の時間、テレビのチャンネル権が誰にあるのかまで事細かに調べた「設計調書」を基に、その家で人がどう暮らすのかを丁寧に思い描いて家づくりに反映させていたという。
この家もしかり。宮脇が「客を迎えるという気分がする」とこだわった内開きの玄関が設けられ、「人は決して直角に曲がらないのだから、その動きに合わせた角度を探す」と、廊下はゆるやかに折り曲げられている。「ワンルームに近い家ほど家族的」だと、1、2階は階段室兼トップライトでつなげられた。「カッコよければすべてよし」という言葉は「造形のために居心地や機能を犠牲にする」という意味ではなかった。
一方でボックスが浮かぶ印象的なフォルムは表現の要だと、構造にはこだわった。構造は宮脇が得意とした、コンクリートと木の混構造。1階は鉄筋コンクリート造、2階の小屋組みなどは木造として躯体を軽くし、柱なしで箱が浮かぶ構造を実現した。
初代オーナーの早崎が93年に亡くなった後、この家は人手に渡った。現在の菅泉さん夫妻は4代目オーナーにあたる。
「近所のマンションに住んでいたのですが、ある日こちらが売りに出されていることを、たまたま知って、散歩がてら見に行ったところ、圧倒されました」と夫の拓己さんは出会いを振り返る。
現在は宮脇に関する書籍を収集し、建物の設計趣旨まで詳しく説明してくれる拓己さんだが、この家に出会うまで宮脇のことは知らず、購入に至ったのは純粋に、空間の魅力に引かれたからだ。
「外観はモダンだけど中は意外と落ち着くというか、居心地がよいと感じました。私はモダンなものが好きで、妻はヨーロピアンクラシックが好き。どちらの好みにも当てはまるので、喧嘩にならないで済みます(笑)」
リビング、テラス、寝室。コンパクトな箱の中に収まる空間はどこもゆったりとしている。採光も十分だ。青い箱にある窓は、子供室の丸窓だけ。プライバシーはしっかり守られている。
「間取りもシンプルで、その後の核家族化を想定したかのような、小さな家族でも暮らしやすい空間だと感じます」と妻の裕美さん。
菅泉さん夫妻は住むほどに、この建物を守りたいと強く感じるようになってきたという。
「名建築に暮らしていることを誇らしく思う気持ちはあります。できれば外壁も竣工当時の色に戻して、いい状態で次世代に残したい」と拓己さん。住みやすくスタイリッシュな「箱」は、今も愛され続けている。