Drink

素材の根源を求める旅と、生まれた土地をカクテルに落とし込む。〈Bar BenFiddich〉鹿山博康

東西の酒や食材の産地を訪ね歩き、人を繋ぎ、新しい味とカルチャーを創り出す。一杯のおいしさを求めて動きは自在。だから俄然、カクテルは面白い。今この時代のトップを行く〈Bar BenFiddich〉の鹿山博康さんに、話を聞いてみましょう。

photo: Shinsaku Kato / txet: BRUTUS, Nobuko Terada

「ちょうどニガヨモギの新芽が出たので」とすり鉢を取り出したかと思えば、バースプーンでなく木の枝でステア。そんな鹿山博康さんを、新しい秘密基地に案内された小学生のように見つめてしまう。折しも、ボリビアの地酒シンガニを探求する旅から戻ったばかり。

〈Bar BenFiddich〉鹿山博康

シンガニは、マスカット・オブ・アレキサンドリアだけを原料とする蒸留酒。隣国ペルーでは、同じブドウの蒸留酒であるピスコが造られ、世界で流行しているのに、シンガニはまだあまり知られていない。

「本当にね、ボリビアをなめ回すように旅してきました。昔ながらの蒸留も見て、そのシンガニを飲んでみたくて、発祥の地といわれる場所にも行きました。電気、ガス、水道も通ってない地域で、30家族だけが年間3000本程度を造っている。で、帰りに車ごと川にはまって……」

シンガニがどのように飲まれているかも知りたいと、“ボリビアのゴールデン街”にも突入した。波瀾万丈のルポは、鹿山さんのSNSで詳細に綴られている。

ときがわ町、ノーツーリストエリア

20代前半、鹿山さんは海外に出て仕事をしたいと思っていたが、家庭の都合でお金がなくて、缶コーヒーを買うのも躊躇(ちゅうちょ)したとか。

「今は、遅れた青春を取り戻すんだ、って言ってます。ええと、ちょっと待ってください。僕、自慢できることがあって、中3から毎日、日記を書いているんですよ。これが記憶のトリガーになる。(日記のページを繰りながら)ああ、2019年は18回海外に行って、上海で風邪ひいたり、ウガンダで不良警官に連れていかれたりしましたね……」

コロナ禍にあった2021年にも、マケドニアでジュニパーベリーの収穫に出かけた。22年以降はほぼ毎月、海外に。ゲストシフトの合間を縫って、植物と酒の根源を求め、野山や僻地の集落に赴く。インドのゴアでは地酒フェニの蒸留所巡り、ケニアのナイロビではジュニパーベリーの植生を探訪。現地採集した味を形にすべく、わざわざ日本から小型蒸留器を持参することもある。

「テロワールを一つの液体にしたい。産業革命以後は知識や機械がないと造れないものがあるけど、その前からある方法なら、原理原則がわかれば誰でも、自分でも造れるのかな、と。今年はモンゴルにも蒸留器を持っていきます。ウランバートル、バーが盛り上がってるんですよ」

『WORLD'S50 BEST BARS』などにランクインし、さまざまな国や地域からゲストとして招かれるうち、世界のバー文化の分布、発展のありさまも体感してきた。

「今のようなバー文化のムーブメントは、少し前はシンガポールや香港にさえ見られなかった。その後、クアラルンプール、ジャカルタ、マニラ、プノンペン……と、ほぼ経済成長に沿って広がってきています。各地に立役者というべきバーテンダーも登場した。僕自身は、まだまだバーテンダーが呼ばれない場所にもっと行きたいんですが」

さて、これほど海外に出ていながら、鹿山さんは、バーがある西新宿と、実家がある埼玉県ときがわ町の2拠点を軸に据える、ローカルの人でもある。実家の、通称“カヤマ畑”では、ジュニパーベリーやニガヨモギをはじめ、カクテルの素材となり得るさまざまな植物を本格的に耕作。

「海外のバーテンダーも、カヤマ畑にはよく連れていくんですよ。“ここからはノーツーリストエリア”と言うと、みんな喜んでくれます」

現在、バースプーン代わりに使っている枝も、もちろんカヤマ畑に生えている木から。

東京〈Bar BenFiddich〉店内
海外からの客も戻り、常に満席が続く。店主の出張時は休業するので、営業確認はSNSで。

液体に落とし込むのは、あくまでも自分です

「畑を10年以上やっていると、雑草も季節ごとにちゃんと生えてきたんだな、と可愛く思える時があるし、引っこ抜いて土の香りで子供の頃を思い出したりする。過去に執着する男です、僕(笑)」

愛着のある故郷に今年から、家も建てるという。まず実家の山の杉を伐採、乾燥させるところから始めるところが、鹿山さんだ。
「どういう家になるのかなあ。なかなか面白いんですよ。バーカウンターも、工房も造ります。植物やお酒の保管も温度管理もきっちりできる。これまでは西新宿に材料を持ってきて仕込んでいたけれど、これからは収穫してそのまま工房で仕込んでから、バーに持ってくるという流れもできるようになります」

バーのある西新宿でも、新たな試みが始まっている。例えば、富山の作家に依頼して、オリジナルのグラスを作った。グラスの中にごく小さなクープ形のグラスが据え付けてあり、持ち手のある蓋も付いている。
「中の小さいグラスにボタニカルを置いて、香りを嗅ぎながら液体を飲む、という仕組みがこのグラスのおかげでできた。ボタニカルはカヤマ畑で収穫したハーブやスパイスの時もあるし、香木の場合もあります」

〈ベンフィディック〉は開業から10周年。バーテンダーになったのが20歳で、2023年で40歳、ということは、自身の職業人生は20周年でもある。
「僕が目指すのは、鹿山博康という一人のバーテンダーとして、10年後、20年後も、〈ベンフィディック〉のカウンターに立っていることと、生まれ育った場所で充実して暮らすこと。これを両輪として、90代で引退するまでずっとやっていきたい」

海外でのビジネスの誘いや商業施設へ出店してほしいとのオファーも多いが、あくまでも自分の手や体を動かすことにこだわる。
「見てきたものを液体に落とし込むのは自分だ、と思っているんですよ。僕がいない時に世界が回っているのがイヤなタイプ(笑)。帰ってきて、自分の居場所が違う空気感になっていたら、寂しいですし」

旅と、生まれた土地で育んだ成果を、液体であれ記憶であれ、発酵させ、蒸留して、カクテルとして花開かせる、それが鹿山さんのエスプリ。と、ステアした木の枝をぽきんと折って「ほらね、いい香りでしょう」と嗅がせてくれた。

東京〈Bar BenFiddich〉店内
新宿の雑居ビル内とは思えない山荘のごとき店内は、畑から持ち込んだ植物やアブサン、リキュールの古酒が並ぶ宝庫。