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建築家・室伏次郎の自邸。都市の家に、洞窟のような安心感と悦楽を

つくり手と住まい手、2つの視点が育てる家。建築家の自邸を紹介。

Photo: Norio Kidera / Text: Masae Wako

20代の頃から、中世のロマネスク教会に憧れていた。人の力で石を積んでつくられた教会は、規模も空間のスケールも穏やかで、あの温かさや安心感が都市の家には必要だと感じていたんです」

建築家の室伏次郎さんによる自邸〈北嶺町の家〉は、1971年に竣工した都市型住宅である。室伏さんの師は日本を代表するモダニズム建築の実践者、坂倉準三。そのアトリエから独立して1年後に発表したデビュー作だ。

東京都大田区に22坪の小さな土地を見つけ、叔父夫妻との2世帯住宅として建てたコンクリートの家は、「設計を始めた1969年にはまだ容積率の法規制限がなかったので、高さ10mの建物にむりくり4階分を押し込んだ。だから各階の天井高は、手を伸ばせば届きそうなほど低い2.15m前後。ローコストを極めた極小住宅です」。

最初は1、2階が叔父世帯、3、4階が室伏さんの住まいだったが、やがて室伏家が4フロア全部を使ったり、2階を賃貸にして若い建築家に貸したり。その時々で設えを変え、現在は1階がアトリエで3、4階が息子世帯。2階に室伏夫妻が暮らしている。

50年にわたる家族の歴史がちりばめられています。

機能上の「解」ではなく、切実な「快」を求めた。

「家は人生の歴史的時間の容れ物。僕でいえば結婚して子供たちが生まれ育ち、巣立った子もいれば、新しい家族と戻ってきた子もいる。そのすべてを受け入れてくれる容れ物なんです。実はこの50年間、躯体は一切変えてない。それでも快適に住み続けられたのは、機能で設計せず、何が起きても対応できる強固で原型的なハコにしておいたからだと思います。

僕たち建築家は本来、狭さや不都合の解決策を考え、機能的で整合性のとれた解答を形にする解決屋。でも、こと自宅に関しては、“解”よりも、シンプルでゆるぎない“場”であることを優先したかった」

そう話す室伏さんがつくったのは、剥き出しのコンクリート壁によるシェルターみたいなハコ。肌合いをつるんと仕上げた現代のコンクリートとは違い、粗っぽくゴツゴツした質感が露わになっている。

だからなのだろう、その分厚い壁にぐるりと囲まれた居室は、まるで洞窟のよう。南の壁の真ん中が大きく切り取られていて、「普通はこの開口部にサッシが入るでしょう?でも、コンクリート壁の存在をピュアに示したくて、サッシを入れず壁の断面をそのまま見せることにした。これ、20世紀アメリカの建築家ルイス・カーンがよくやった手法なのですが、非常にカッコいいんですよ」。

その代わり開口部の外側には、ガラスの壁を持つ「光のハコ」を取り付けた。居室にいると、コンクリート壁と光の壁、二重の壁に囲まれているようでホッとする。薄暗い日陰にこもりながら、窓の外の明るい日なたを眺めているような、得もいわれぬ心地よさ。

「おそらく僕は、真正、つまりホンモノの壁を欲していたんですね。70年代は都市の概念が生まれ、革新的な建造物が建ち、人も世の中もめまぐるしく変化していた時代。だからこそ、安心できる個の居場所を持ちたかった。

ただ、柱と梁でつくる日本の家だと室内外の境界が曖昧で、個の空間ではなく“みんな仲良し”な空間になる。都市に住むなら自他を強く意識させる壁が必要。偏見かもしれないけど、そう思ったんです」

なるほど、室伏さんが切実に求めたのは、壁がつくる個の心地よさと、守られているような安心感。天井の低さも安心感に一役買っているのかもしれないし、住まい手の個性を映す家具や調度もしかり。

室伏さんは「雑多なものがごちゃごちゃ並んでるだけで、コーディネートされてはいないよね」と笑うけれど、インテリアコーディネートなんて言葉が軽く吹き飛んでしまうほどに心地いい。

「好きなものに囲まれているのだから快適なのは当然。でも、この家の真の居心地のよさは、光の量と壁の量の関係性が生み出しているものだろうと思います。コルビュジエ風に言うなら、悦楽のある空間。建築に快楽を、空間に悦楽を。それがこの家のすべてです」

建築家・室伏次郎 自邸 2階リビング
建築家・室伏次郎が建てた自邸は、40㎡弱のハコを4階分重ねた都市型住宅。写真は2階。南向きの分厚いコンクリート壁に四角い穴を開け、「薄暗い洞窟の中から、光の差す場所を眺めるような」空間をつくった。

〈北嶺町の家〉
竣工1971年。所在地/東京都大田区。規模/地上4階。構造/壁式鉄筋コンクリート造。敷地面積/71.92㎡。建築面積/48.50㎡。延床面積/177.00㎡。