季節を感じ、願いを込めて食べたい「あんこ歳時記」
1月/睦月
花びら餅に笑顔饅。縁起の良い菓子で、幸せな年になりますように。
正月に食べる花びら餅は、「菱はなびら」という宮中の行事食に由来する。宮中では古くから正月に「菱はなびら」が食べられ、「包み雑煮」とも呼ばれた。明治になり、これをもとに作った菓子が、花びら餅。餅で巻いたゴボウは、かつて宮中で元旦に食べて健康長寿を祈っていた押しアユに見立てたもの。また、松竹梅に鶴亀、干支など、一年の幸せを願って、縁起の良いモチーフの菓子が揃う。真っ白な生地に朱点を打った笑顔饅は、その一つ。
2月/如月
邪気を祓う、常緑の緑がみずみずしい菓子で、古を思う。
立春の前日に行う節分は、春の始まりを前に、鬼の嫌いな豆を撒いて、邪気を祓う行事。最近は、この時期に豆大福を売る店もあるが、京都〈柏屋光貞〉には、年に1回、節分の日だけに作る法螺貝餅という菓子がある。また、常緑のみずみずしい葉で、早春を感じようという意味合いがあるのか、葉が落ち切って寂しい正月明けからのこの季節には、椿の葉を用いた椿餅も作られる。平安時代の作品『源氏物語』にも登場する古い菓子。
3月/弥生
草の香りに小豆の色。春の訪れとともにお菓子で邪気を祓う。
3日の雛祭りは、今では女子の成長を祈る行事だが、古くは水辺に出て穢れを洗い流す上巳の節句。この日、宮中の女性たちが野に出て草を摘み、作っていたというのが、草餅。草の香りが邪気を祓うとされていた。アコヤ貝を模した雛菓子、あこや(ひっちぎりともいう)は、雛祭りに貝を食べることに由来するようだ。そして、20日もすると、春分の日を中日とする彼岸。邪気を祓う小豆色のぼた餅を、先祖に供える習慣は、江戸時代に定着。
4月/卯月
桜餅は、江戸の頃から変わらぬ、桜の季節の定番菓子。
桜の季節は、なんといっても桜餅。その名は古くからあったが、あくまで桜の花を象ったもの。今のような桜の葉の塩漬けで包む形が生まれたのは、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の時代で、向島の桜の名所に立つ長命寺が発祥と伝えられる。瞬く間に江戸を代表する銘菓になり、関西にも伝わった。江戸時代には、花見の風習が庶民の間に広まっている。桜の名所の近くには、茶店が立ち並び、そこで桜を眺めながら、菓子を楽しむようになった。
5月/皐月
家が絶えることなく、末永く続きますようにと、端午の節句に柏餅。
5日は、男子の成長を願う端午の節句。もとは菖蒲を冠や髪につけて、その香りで邪気を祓っていたが、菖蒲が尚武に通じることから、武家の節句として尊ばれるように。柏餅が節句菓子として食べられるようになったのは、江戸時代。柏の木は、新芽が出るまで古い葉が落ちないことから、家の継承にとって縁起が良いと、特に江戸でもてはやされた。一方、関西では粽。端午の節句行事とともに中国から伝わったもので、江戸期に菓子として広まった。
6月/水無月
小豆がのった三角の菓子で、半年分の穢れを祓い、残りの半年を健やかに。
晦日は、半年分の心身の穢れを祓う神事、夏越の祓。この時期に菓子屋に並ぶのが、小豆がのった三角形の水無月だ。この月の1日には、氷室の氷を献上する祝事が行われており、水無月の形は、夏越の祓の時に使われる御幣の先の形であるとも、この祭りで献上していた氷の形ともいわれる。いずれにせよ、今の形になったのは、近代以降のこと。また、金沢では、旧暦6月1日の氷室の祭りに由来する、氷室饅頭を7月1日に食べる習慣がある。
7月/文月
夏到来。暑い季節は、小豆の餅で精をつけ、涼やかな錦玉羹で暑気払い。
土用の丑の日にウナギを食べることと同じ。季節の変わり目に、精のつくものを食べる風習は古くからあり、土用の入りに食べる土用餅もその一つ。滋養のある小豆を使った餅を食べれば、暑い夏でも根気が続くとされた。また、この時期、菓子屋は寒天を使った、透明で喉越しのいい錦玉羹(琥珀)や葛の菓子を作り、涼やかさを誘う。
9月/長月
長寿を願って菊の菓子。豊作を祝って月見団子。秋到来でグッと菓子が華やぐ。
9日は重陽の節句、別名・菊の節句、栗節句。節句の前夜、菊の花に綿をかぶせて一晩置き、夜露が染み込んだその真綿で肌を拭い、健康長寿を願う“着せ綿”という行事がある。この時期には、それを菓銘としたものや、菊の意匠の生菓子、栗の菓子が並ぶ。中秋の名月は月見団子、お彼岸はおはぎと、行事にちなんだ菓子が増える。
11月/霜月
多産なイノシシにあやかって、病気になりませんようにと、亥の日に餅を食べる。
旧暦10月の亥の日に餅を食べると病気にならない、という古い言い伝えにちなんだ菓子が、亥の子餅。多産なイノシシは、かつては豊かさの象徴だったという。11月に催される茶席には、その亥の子餅と、織部饅頭を茶菓子とするところも。そのほか、秋の風物詩である紅葉狩りを意匠とした菓子、京都などでは銀杏餅も並ぶ。