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和菓子の命はあんこ、と言い切る名古屋の名店〈川口屋〉へ

あんこの都といえば京都、東京、金沢、松江ですが、名古屋に、通たちの視線を集める和菓子の名店が揃っているのを知っていますか?数種のあんこを自ら炊き、上生菓子、押し物、棹物、餅菓子に。様々なあんこの菓子が市民に愛され、日々の暮らしに溶け込む背景には、歴史とオリジナリティの継承がありました。

Photo: Kunihiro Fukumori / Text: Yuko Saito

名古屋の人は、あんこ好きである。なにせ、モーニングのトーストにだって、あんこをのせる土地柄なのだ。大福や草餅などの餅菓子はもちろん、上生菓子とて、特別なものではなく、しっかり日常に溶け込んでいる。

例えば、繁華街のど真ん中にひっそりと佇む〈川口屋〉。ここは、上生菓子が全国的にも名高い和菓子店。引きも切らずに客が訪れ、ひょいっと暖簾をくぐっていく。2021年11月末に取材に訪れた時もしかり。

ビジネスマンが、残っていた2つの菓子をうれしそうに携えて店を後にしたかと思えば、予約の菓子を受け取りに訪れた女性客は、迷った末に、正月のお菓子をまるっと10種近く予約して帰っていった。上生菓子も、餅菓子と同じように買っていく。

名古屋〈川口屋〉外観
繁華街に佇む名店〈川口屋〉。小さな間口の奥に、めくるめく、あんこワールドが広がる。

あんこの都を作った茶道マニアの当主と西尾

その理由は、歴史を紐解くと、見えてくる。名古屋といえば、尾張徳川家のお膝元。初代の頃から、代々、武家の嗜みである茶の湯に熱心だったが、江戸後期、稀代の茶道マニアだった徳川斉荘が12代当主になると、その影響で茶の湯文化が拡大。

武士、町人のみならず、農民も農作業の合間に抹茶を点てるなど、市井の人々の間にお茶に親しむ習慣が浸透していったという。

さらに、和菓子に携わる人たちが口を揃えるのは、県の南部に位置する西尾の存在。明治以降、ここが抹茶の生産地として発展し、それまで京都・宇治に頼っていた名古屋のお茶文化を支えるようになったことが大きいという。いまや、西尾の抹茶は、日本有数の生産量を誇るまでになっている。

お茶と和菓子は、切っても切り離せない間柄。街を歩けば、茶舗があり、近くには1軒、2軒と和菓子店が並んでいる。が、和菓子の生産量も全国トップクラスで、お菓子自体のレベルが高いことは、まだまだ知られていない。

和菓子というと、京都や金沢が真っ先に頭に浮かぶが、どうして、全国津々浦々の和菓子を食べ歩いている愛好家たちは、この地の菓子の素晴らしさ、面白さを口にする。

意匠は、京都に通じる抽象的な表現ながら、意外性のある仕立てで楽しませてくれる上生菓子、とびっきりの軟らかさや繊細な口溶けを身上とするわらび餅や蒸し羊羹など、形も仕立ても食感も、ほかとは違う特徴を持っている。

上生、棹物から餅菓子まで。あまねく名店が揃う街

一般的に、上生菓子を扱う個人店は、手間のかかるこしあん作りを製餡所に委ねる店が多い。しかし、名古屋では数種のあんこでも、炊くところが多い。しかも、それを300円ちょっと、という価格で売っているから驚く。

今回は、そうした名古屋ならではの、あんこ菓子のおいしさに迫るべく、上生菓子から押し物、棹物、餅菓子まで、とっておきの店を紹介する。どんなに残してほしい銘菓であっても、技を受け継ぐ職人がいなくなれば、この世から消えてしまう。

後継者の問題は、和菓子に限らず、老舗・名店の宿命だが、取材に訪れた店では、その技と味を継ぐ次世代がちゃんと育っていた。店同士のつながりも深く、共に文化を支えていこうという機運もある。
いままでも、そしてこれからも楽しみな名古屋の和菓子旅、あんこ旅をどうぞ。

川口屋(栄)

あんこへの情熱と意外性に心を掴まれる上生菓子店

上生菓子が10種あれば、使うあんこも10種ほぼ違う。それでも、あんこは和菓子の命と、備中白小豆で炊く白こしあんも、丹波大納言で炊くつぶあんも、黒糖が入る大島あんも、一から炊いて菓子にする。

江戸・元禄年間の創業以来、飴屋を家業としたが、戦後に14代目が一念発起。全国の和菓子店をくまなく食べ歩き、独学で上生菓子を作り始めたという上生菓子の店だ。後ろ向きに休む鶴を意匠とした鶴薯蕷は、中が紅こしあん。そうした意外性も、伝統に捉われない菓子作りをした14代目の足跡か。

現在は、「お客様においしいな、きれいだなと思っていただける菓子を作るだけ」という、将来の18代目、渡邉克信さんが工房を担う。

名古屋〈川口屋〉包み作業
名古屋〈川口屋〉あんこのねり作業
上りあんを手際よく練り椿もちに。