荒縄で縛った自慢の大鱈を
漁師たちが担いで神社に奉納します
重い雲が立ち込め、大荒れの冬の日本海。雪が舞うなか、漁を終えた船から引き揚げられたのは、毛ガニ、カレイ、ヒラメ、甘エビ、日本海沿岸でしか水揚げされないガサエビ、地元では「かすべ」と呼ばれるエイなど冬の魚たちだ。
なかでもひときわ目を引くのはでっぷりとした腹にぬめぬめと光る斑(まだら)の肌を持つ大きな魚。鱈である。
「鱈」という漢字は、雪が降る頃に旬を迎え、おいしさを増すことからとも、その身の雪のような白さからともいわれている。
松尾芭蕉が『奥の細道』で目的地の一つとしたとされる名勝・象潟(きさかた)に程近い、秋田県にかほ市金浦。古くから漁業が盛んなこの町は、対馬海流とリマン海流がぶつかる潮目に当たる天然の良港だ。
江戸時代、越後の人によって鱈漁法が伝えられて以降、地元では「鱈といえば、金浦の鱈」といわれるほど、冬の味覚を代表する名物になっている。
この鱈漁が最盛期を迎える1月から2月は、日本海が一年で最も荒れる時期にあたる。猛烈な風雪による大シケが続くなか、丸木舟に櫓(ろ)と櫂(かい)とで操らねばならなかった昔の漁船での漁は、文字通り命懸けのものだった。
特に1738(元文3)年2月17日には一挙に86名の海死者が出たため、村に男性の大人が見られなくなったという。
残された言い伝えによれば、『掛魚まつり』の始まりは、漁獲の一部を守護神に奉納して感謝を捧げ、さらに今後の海上安全と大漁を祈願するという、自然発生的な風習に端を発しているという。
それがやがて漁師全体、村全体の行事となり、毎年立春の頃の2月4日に行われるようになった。昔はその年に獲れたいちばんの大物を一尾選んで奉納していたため、鱈に限らず鯛、エイ、カナガシラなどの場合もあったという。
確かな文献がなく明らかではないが、少なくとも江戸時代、元禄年間にはすでに行われていたものといわれており、350年以上の歴史ある祭りであるとされている。
この時期に獲れたなかで
最も大きな鱈を神前に奉納
朝9時半。金浦港の漁協には老若男女たくさんの人が集まってくる。地元の漁業関係者を中心に、祭りの見物や撮影に来た人、鱈の直売を目当てに来る人、神事の後の鱈汁を食べに来る人などで漁協は賑わう。
荒縄で縛られ、竹筒にずらりと掛けられた鱈は、全部で53本。いずれも漁師たちがこの日のために獲ってきた自慢の大物揃いで、なかには体長1m、重さ13kgにも及ぶという巨体もある。
地元の小学生たちからなる〈金浦(きんぽう)神楽保存会〉による神楽が先導になり、漁協から金浦山神社までの町内約2kmを、鱈を担いで練り歩く。街頭の見物客から「あ!お魚来たよ!」「大きい!大きいねぇ!」と歓声が上がるなか、男たちは粛々と金浦山(このうらやま)神社への道中を行く。
金浦山神社の急階段を上り、社殿に到着すると、男たちは神前に大きな鱈を次々と掛けていく。雪の降り積もった境内に、ずらりと並んだ大鱈53本は堂々たるものだ。
そのうちの1本を納めた漁師の佐藤栄治郎さんは、掛魚まつりについて、「やっぱり、気持ちが引き締まります。今年も一年、安全で豊漁にという願いを込めていますから」と話す。
栄治郎さんは親方である父と2人で「隆栄丸」という漁船に乗っている。春夏はヒラメやカレイ、10月はカニ、11月~12月は秋田の県魚でもあるハタハタ漁が中心になる。
そして1月~2月、いよいよ鱈漁の時期を迎える。冬の日本海は海が荒れる日の方が多く、ひと月のうち漁に出られる日数は、たったの5~7日程度。
「毎日仕事をしていたい自分には苦しい季節です」と栄治郎さんは苦い顔をするが、初めて冬の海に出た日のことは、忘れられないという。
「本当に怖かったですよ。酔い止めを3本飲んでも吐き続けて」とその日のことを振り返る。冬の海の豊かさと恐ろしさ、その両方を知る漁師だからこそ、『掛魚まつり』に寄せる思いは、人一倍強いのだ。
鱈が奉納された後は、金浦山神社の向かいにある勢至(せいし)公園でお待ちかねの鱈汁販売の行列に並ぶ。新鮮な鱈のザッパ(アラ)と肝とを水から煮出し、鱈の身、豆腐、ネギを加えて一煮立ちしたところに味噌を溶き入れる。
鱈の旨味が存分に味わえる一杯は、芯まで冷えた体に染み渡る。ぼたん雪が降ったこの日、『掛魚まつり』と鱈汁を目指して集まった来場者は5000人を超えた。
厳しくも豊かな冬の海の幸を
余すところなく丸ごと食す
地元の鮮魚店や道の駅にも、旬の鱈を味わおうという人たちがひっきりなしに訪れる。この時期の漁協直売所では、開店時間目がけて来る客で行列ができることもあるという。客の目当てはやはり、鱈。
前日の競りで仕入れたばかりの鱈が、この日は軽トラック1台分、60本も店頭に並び、値つけされたそばから次々に売れていく。
「毎年こんなに売れるんですか」と声をかけると「昨日はトラック2台分売れたよ!」とお店のおかあさん。1本4~10kgほどの大きな鱈を、2本、3本と買っていく客がほとんどなのだ。東北は祭りも、魚の買い方もダイナミックなのである。
鱈は「捨てるところがない魚」でもある。淡泊な身は昆布締めやフライ、鍋物の具や煮付けなど何でも合う。鍋に入れても、さっと湯がいてポン酢で食べてもおいしい白子は現地では「だだみ」と呼ばれ、とりわけ衣をつけて揚げる「だだみのてんぷら」は秋田県民の大好物である。
メスの卵、つまりたらこは真子(まこ)とも呼ばれ、しらたきと一緒に炒り煮にする「子炒り」のほか、新鮮なものはイクラの醤油漬けと同じ要領で、醤油と酒に漬けると酒の肴にもなる。金浦の鱈汁には鱈のアラのほか、アンコウの肝にも似た濃厚な味わいの肝を入れるのがお約束。鱈の肝は新鮮な鱈でないと食すことのできない部位とされている。
コリコリした歯触りの鱈の胃袋は、韓国料理の「チャンジャ」などでも知られる通りだ。
こうして、大きな魚を丸ごと一本手に入れて、それを余すところなく丸ごと食する「一物全体」の精神が生活のなかでごく当たり前のものとしてあるということなのだ。金浦の人々は魚を頭から尻尾まで、おいしく食べ切る技術を持っている。
毎年掛魚まつりの日にこの店に鱈を買いに来るという70代の男性に話を聞くと「1本は家族と食べる分。もう1本は千葉に住む娘のとこさ贈ってやるんだ。秋田に生まれ育った人間だから、この時期になれば、やっぱり金浦の鱈を食べたくなるべなと思ってな」と柔らかい表情で言う。
大きな鱈を2本、3本と求める豪胆な買いっぷりの裏に、こまやかな心遣いが窺える。
この土地の人たちは天候を見れば、いつ漁船が漁に出たかがわかるそうで「今日はいい鱈あるべなと思って、息子と孫を連れて朝一番に来たんだ」と70代の男性は目を細めた。
漁業のみならず、食文化、贈答の習慣や天気読み、そして祭りに至るまで。金浦の人たちにとって、鱈は台所から祭りまで、北国の冬の暮らしとともにある魚なのだ。