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男鹿のなまはげ、花巻の鹿踊り…東北に爆発する民族のエネルギーを求めて。岡本太郎が旅した青森・秋田・岩手

「縄文土器論」を発表した1952年以降、芸術家として、民俗学者として、原始的風土が生き続ける日本の辺境を注視した岡本太郎。近代化と共に稀薄になる日本文化を憂い、日本人が失いつつある本来の姿を取り戻そうと東北へ赴いた太郎はそこで何を見たのだろう。

Text: Asuka Ochi

「いわばとり残されたところに、
生命の感動が生きている」

『忘れられた日本』で日本の南の端の沖縄を訪れ、“日本の原形”と言えるものを見つけた太郎が次に目指したのは本州の北の端、東北だった。東北2県で延べ1週間、連載の取材を兼ねて、57年2月に雪の秋田へ、6月に初夏の岩手へ。

「私はこのような、いわばとり残されたところに、古くから永遠にひきつがれて来た人間の生命の感動が、まだなまのまゝ生き働いているのではないかと思った。たとえば『なまはげ』の行事などに」(『岡本太郎の東北』、以下同)

まずはそう考えて、なまはげを見に向かった男鹿半島。その道すがら太郎は、極寒の地で生きる人々の顔つきに、東京人が忘れてしまっている生き生きとした“人間的な深さ”を感じ取る。

そして直感で目指した東北は、太郎の中で確信に変わった。東北には縄文や沖縄にも通じる“日本の生命”がみなぎっているのだ、と。

肝心のなまはげは原始の素朴さに欠けた道徳的な儀式にも映ったようだが、太郎はなまはげが「鬼であり、怪物でありながら、同時に人間である」ことの方に面白さを見出す。

「どちらでもあるという、その交錯に意味がある。鬼は鬼であって、人間ではない。という風に、ゲンゼンと戸籍がわかれてしまったのはかなり文化が進んで、原始的信仰が失われてからのことだ。

それ以前は、人間と霊とは自在に交流していた。その超現実と現実、詩と散文の、不可思議なカネアイこそ、神秘でありながら生活的である。そこにまた芸術のなまなましい感銘もあるのだ」

その4ヵ月後の岩手、花巻温泉での新緑の中の鹿(しし)踊り。低い太鼓の音と共に人が獣となって踊る姿を見た太郎は、歓びのあまり小躍りしてシャッターを切ったという。

「それはもう鹿ではない。獣。そして、それは又人間そのものの気配でもある。人間。動物。どっちだかわからない。その凄み。人間が動物を食い、動物が人間を食った時代。あの暗い、太古の血の交歓。食うことも食われることも、生きる祭儀だった。(中略)どうも私は人間よりも動物の方にひかれるらしい。今日の人間があんまり温帯植物のように、無気力に見えるせいだろう」

太郎は本州の端に残る、秋田のなまはげや岩手の鹿踊りなどの日本固有のもの、動物的とも言える人間の原始の生命力を全身全霊で愛した。そしてそれが大陸文化によって惰性的に近代化し、変質し、滅びていくことを強く憎んでいた。

花巻温泉での鹿踊り
花巻温泉での鹿踊り。太郎が撮影した1枚。写真/川崎市岡本太郎美術館

「(大陸文化を)もちろん日本的に消化はした。だが明らかに位負けだ。生活者としての創造的気魄、そのエネルギーがない。(中略)下積みになりながら日本の土とともに働くもののエネルギーは、黙々と、執拗に、民族のいのちのアカシを守りつゞけて来た。形式ではなく、その無意識の抵抗に、私は日本文化の新しい可能性を掴みたい」

日本民族として本来の姿を取り戻すための希望は東北にあるに違いない。その確信のもとに、岩手と聞いて真っ先に思いつく芭蕉や啄木、宮沢賢治を「ひ弱なもの」と片づけ、鹿踊りなどのより土着的な郷土芸能に震えた。

中尊寺に蝦夷(エゾ)の気配を感じ、狩猟民族と共に世々生き抜いてきた馬の姿を追った。太郎は自らの芸術に追求したのと同じように、東北に爆発する民族のエネルギーを求めていた。

そして、秋田、岩手を訪れてから5年後の夏、太郎は青森に辿り着く。今もシャーマンが暮らし、民間信仰が残る地を前に、ここに求める答えがあると予感したのだ。

「このような神秘はかつて日本全土をおおっていたと考えられている。歴史の奥深くかくされた原始日本。縄文文化の土器、土偶の、奇怪な、呪術的美学がこの気配に対応していないだろうか」

青森には日本3大霊場の1つとされる恐山や、2000体の地蔵が安置される川倉賽の河原地蔵尊がある。縄文の頃から津軽に息づく霊体と、それを霊媒するイタコ(女性で、多くは盲目である)、さらにはオシラさまを拝む女たちがいる。

秋田を旅する途中の岡本太郎
本場、秋田県男鹿半島の芦沢でなまはげ取材の際の記念撮影。本来は年越しの晩に行われる。その日、村から選ばれた、または志願した屈強の青年が神社に集まり、火を焚き、身支度して出かけるという。写真/川崎市岡本太郎美術館

太郎は青森でいわば人生の暗闇を辿ってきた彼女たちのような「無名のお婆さんたち」の生命力に、確かな手応えを感じる。

「押しつぶされ、恥ずかしめられながら、にもかかわらず平気で、大河の幅のようにおし流れてきている彼女らの生命力。(中略)あのお婆さんたち、イタコ、そして東北全体の自然を、オシラの気配がおおうている。その手ごたえで、私は満足だ。それは私の身体をとおって、日本人全体の生甲斐にひびいているように思われる」

その時、太郎は東北に熱き縄文人の面影を見ていたのだろう。

我々はいつでも太郎の言葉と共に原始日本を旅し、民族のあるべき根源的な生命力や生き甲斐を取り戻すことができる。「日本人は爆発しなければならない」のだ。

岡本太郎が旅した青森・秋田・岩手MAP

青森・秋田・岩手MAP
秋田県へは1957年2月12日から15日、秋田駅から男鹿半島へ。

芦沢でなまはげを見て、八郎潟、飯田川の太平山酒蔵、横手の朝市を訪れる。同年6月15日から18日の岩手県では、平泉の中尊寺から、花巻温泉で鹿踊り・鬼剣舞を見て、盛岡の産業文化館や南部鉄瓶共同作業場を見学。

その後、馬を求めて、岩手県畜産場、小岩井農場へ。62年7月21日から26日の青森県では、恐山、下古川で虫送りの「むし」、川倉の地蔵盆、孫内の淡島様、八戸のオシラさまなどを見る。