ある春の日の四谷三丁目、〈オステリア・デッロ・スクード〉にて。イタリア半島を北から南へ、沿岸部から丘陵地、そして山岳へ。前菜、パスタ、スープ、肉・魚料理、各地の特色を映す料理を、シェフの小池教之さんに作ってもらった。
小池さんは「北の料理は長距離走。しっかり時間をかけて仕込む料理が多く、煮込み時間も長い。一方、南は瞬発力の料理。フレッシュ感が大切で食材はチャチャッと、あまりいじくらない。中部の料理には両方の要素があります」と独自の表現でイタリア料理を俯瞰してみせる。
イタリアが国として統一されたのは1861年。歴史を遡れば、古代、北の森は狩猟生活を送っていたゲルマン民族の土地だった。一方の南はローマ帝国。ローマ人は魚、豆、野菜と穀物が中心で、肉は野蛮人が食べると考えていた。そのローマ人が肉食になったのは、西ローマ帝国が476年に滅亡した後のこと。
ゲルマン人の侵攻に敗れたローマ人にとって、肉は強さの象徴となった。こうして北と南の食は攻防し、融合していった。中部では、北と南の特色が混交し、各地の個性を育む。中世の都市国家時代が長かったことも、バラエティを生んだ大きな要因だ。
風土に紐付く基本食材として注目したいのが家畜。北は牛、南は羊、全土の豚。油脂は、北が動物性バター、南は植物性オリーブオイル、豚のラードは各地にある。チーズも連動して北は牛乳系、南は羊乳系が多い。これらが各地の料理のベースとなる。
料理的には、北部は厳しい寒さをしのぐ料理が特徴的。酪農が盛んで、エネルギーを蓄える動物性タンパク質、脂質たっぷりだ。対する南は温暖で、年間を通じて山海の幸、野菜にも恵まれる。新鮮な素材を生かした、手をかけすぎない料理が主力だ。
中部は、沿岸部が地中海的魚介料理、山間部は素朴な農民、羊飼い料理が郷土料理のベースにある。そして、シチリア、サルデーニャの島々には、島を行き交った民族が残した食材が料理に生きている。
イタリアの風土を大づかみしたら、20州の料理の旅を始めよう。背景を知って食べれば、イタリア料理はさらに面白く、おいしい。
北部
国境、アルプス山脈、酪農が形作る北の味
フランス、スイス、オーストリア、スロベニアと国境を接する北部イタリアには北ヨーロッパや東ヨーロッパ諸国の影響を受けた料理も。
山岳部は小麦がほぼ育たずパンも保存食。ガチガチに乾燥して堅くなったパンをスープや煮込みに浸して食べる。山の乳牛チーズは旨味豊かで料理にも大活躍。バター、生クリーム、ラードなどリッチな油脂分を用いる。中部に近づくと軟質小麦のパスタ圏内となり有名な手打ちパスタ料理が多い。
（1）ヴァッレ・ダオスタ自治州／ペッリーナ渓谷風ズッパ
フランス、スイスと国境を接する最も標高が高い州で、ズッパ（スープ）を年中食べる。「ペッリーナ渓谷風」は、山岳酪農の乳で作るフォンティーナチーズにキャベツ、ジャガイモが具材。下に堅くなったライ麦パンを敷いてスープで軟らかくする。ふと香るジュニパーベリーが北の山を運ぶ。
（2）ピエモンテ州／ランゲ風アニョロッティ
指で詰め物の間をキュッとつまんで閉じるのがランゲ風アニョロッティ。卵たっぷりの贅沢なパスタで、クリスマスにもよく食される。詰め物はウサギや仔牛肉など複数種をミックスする場合が多い。バターソースとセージでシンプルに食べるのが鉄板。お隣フランスの食文化の影響も濃い州だ。
（3）ロンバルディア州／オッソブーコ
ロンバルディアは酪農州。だから油脂はバター、肉は牛が多い。オッソブーコは牛のすね肉の煮込み。「骨まで愛して」って歌もあるが、これは骨の髄まで食す料理。骨からいいだしが出て、髄液はご馳走だ。グレモラータという柑橘の皮とニンニク、パセリをかけるのが伝統的な食べ方。
（4）ヴェネト州／ヴィチェンツァ風バッカラ
バッカラ（タラ）には塩漬けと干しダラがあり、ヴィチェンツァ風は後者。ストッカフィッソとも呼ばれる。独特の臭い系の旨味があり、水で戻した後、ゆっくりミルク煮にして臭みを抜く。必ずポレンタとセット。ポレンタはイタリア各地に見られるが、ヴェネトは特にポレンタ好きで有名だ。
（5）トレンティーノ=アルト・アディジェ州／グーラッシュ
オーストリア、スイスと国境を接するアルト・アディジェ地方はドイツ語が日用語。歴史的にオーストリア＝ハンガリー帝国の支配下にあった影響が料理にも残る。牛のすね、肩肉などの硬い部位をワインで煮込むグーラッシュもハンガリーの流れを汲んでいて、煮込みにはパプリカが必須だ。
（6）フリウリ=ヴェネチア・ジュリア自治州／チャルソンス
珍パスタの一つで詰め物はジャガイモ、レーズン、シナモンが基本。焦がしバターのソースで砂糖を加える場合も。仕上げにはミントと燻製リコッタチーズ。食事かスイーツか？食べてみて判断を。不思議といける。オーストリア、スロベニアと接するこの州の料理は、東ヨーロッパが薫る。
（7）リグーリア州／カッポン・マーグロ
北部で唯一地中海の恩恵にあずかり、気候は温暖。タジャスカ種のオリーブオイルはデリケートな味わいで世界的に有名だ。テーブルオリーブとして食べても美味。魚介料理も多く、その代表がカッポン・マーグロ。船上で漁師が魚と海水に浸した乾パンを一緒に食べたとの説もあるが、伝統的にはクリスマスイブに食す祝祭料理だ。伊勢エビ、ムール貝、イカ、タコ、ホウボウなどたくさんの魚介と別に調理した野菜を合わせ、下にビネガーで湿らせたパンを敷く。
（8）エミリア=ロマーニャ州／アフェッタートミストとニョッコフリット
広大なパダノ平原は畜産・酪農の一大産地。豚肉加工品とパルミジャーノ・レッジャーノチーズは重要な産業だ。油脂はバターやラードをたっぷり使う。前菜の生ハム・サラミの盛り合わせ（アフェッタートミスト）にバター、ラードを添えることも。ラードで揚げたパンと食べる。脂ラブ州。
中部
イタリアの背骨、アペニン山脈の山、丘陵地、畜産と食
日本と同じく、海に囲まれていても中山間地が多いのが中部イタリア。海岸で魚介スープを食べているかと思えば、内陸は一気に山の料理に変わる。
家畜には牛も羊もヤギもいるが、南に近づくにつれて羊のチーズ、羊肉料理が目立ってくる。小麦は軟質小麦も硬質小麦も、両方のパスタが味わえる。油脂は動物性のバターからオリーブオイルへ。ラードを使う料理も魅力。植生の境目が様々な形で料理に表れているのが、中部料理の面白さ。
（9）アブルッツォ州／仔羊のラグーのキタッラ
アドリア海に接するも平地はほぼなく、急勾配な丘陵や山の多いアブルッツォでは、羊を中心に牧畜が営まれてきた。内陸は野菜と肉中心の料理。調味料には甘い、辛い、細長い、丸くて大きい、多様な唐辛子が活躍する。「キタッラ」は、ギターという意味で、箱に弦を張ってパスタ生地を切る道具がギターに譬えられた。日本人のイタリア料理人が現地から持ち帰ることの多い道具の一つ。羊飼い料理に由来し、羊のラグーで合わせるのが最も定番だ。
（10）マルケ州／カンポフィローネ風マッケロンチーニ
カンポフィローネは、マルケ州の丘陵にある小さな町。毎夏マッケロンチーニ祭が行われる町自慢のパスタは、卵をたっぷり練り込む贅沢な生地。これを薄く、薄く延ばして極細の紐のように切るロングパスタ。シンプルなトマトソースで食せば、麺の繊細な旨さを味わうことができる。
（11）ラツィオ州／トラステヴェレ風トリッパ
別名ローマ風トリッパ。トラステヴェレは、“テヴェレ川の向こう側”の意味で、ローマの中心から見た上から目線な呼び方だが、今は活気溢れる若者に大人気の下町だ。トリッパも下町料理の一つで、トマトにミントで食すのがローマ風。クローブを効かせたガロフォラートソースの場合も。
（12）トスカーナ州／リボッリータ
野菜と豆のスープに堅くなったパンを入れ、再加熱（リボッレ）する。郷土野菜のカーボロネロ（黒キャベツ）が入るのがお約束。最近は日本でもカーボロネロが栽培されるようになってきた。辛味あるEXバージンオリーブオイルをたっぷりかけると、見た目のダメな感じを忘れる美味に。
（13）ウンブリア州／黒トリュフのストランゴッツィ
中部で唯一の海なし州。丘陵地が多く、ノルチャという町は豚肉加工に長けた職人が多い。全般的には地味な州だが、ネリーナ渓谷の黒トリュフは、唯一、キラキラ食材。パスタや卵料理、肉にも魚にも贅沢使いする。パスタなら軟質小麦と水だけでコシを出すうどんのようなストランゴッツィと。
（14）モリーゼ州／パンパネッラ
モリーゼはアブルッツォから1970年に独立したイタリアで一番新しい州。イタリア最後の秘境、の言葉がふさわしい知られざる土地。パンパネッラは、サンマルティーノ・イン・ペンシリスというこれまたどこ？な町の料理で、豚の塊肉に唐辛子をすり込んで焼くイタリア式チャーシュー。
南部
元祖イタリア料理は素材の豊かさ、地中海式でヘルシーな料理
気候が良くどんな農作物も育つため、古くはギリシャ人の植民都市も多かった南イタリア。良質な硬質小麦、オリーブオイル、豆類、魚介類の産地で素材の新鮮さや素材力を生かしたシンプルな料理が多く、イタリア料理の源流といわれる。
チーズもまた、熟成系より鮮度勝負のモッツァレラ、チーズを作った後の乳清で作るリコッタなどフレッシュチーズの秀逸さが光る。トマトソースベースのイタリア料理は、南で誕生した。
（15）プーリア州／ブッラータとペペロナータ
日本でもブームとなったブッラータの本場。生クリームと糸状に裂いたモッツァレラを同じ生地で巾着状に包んだチーズ。切ると中身がトロリ。外と内、硬軟の食感の違いを合わせて食べる。同じく州名産の豚の首肉サラミ、カポコッロや野菜のマリネなどと一緒に食前を盛り立てる。
（16）バジリカータ州／マテーラ風ミネストラ
マテーラは、洞窟住居群が有名な町。面積は小さく、急傾斜の厳しい地形が多い。切り崩して穀倉地帯となったのがマテーラ。硬質小麦、カラス麦や様々な豆類が栽培され、素朴な農民料理が今も残る。野菜と豆のスープ、ミネストラもその典型。地味ながら野菜も豊富な“素材大国”である。
（17）カラブリア州／ムルセッドゥ
イタリアの爪先。海に面した断崖の柑橘畑は瀬戸内を彷彿とさせるが、風景はもっと荒涼としている。ベルガモットは特に有名。アブルッツォ同様、唐辛子をよく使う。ムルセッドゥは、豚モツの唐辛子煮込みで、ピッタという袋状のパンでパニーニにしたり、タルトにして食べることもある。
（18）カンパーニア州／アクアパッツァのパッケリ
乾燥パスタの聖地、そしてトマトとパスタが出会ったのがナポリ周辺。良質な硬質小麦と水質、ヴェスヴィオ火山からの乾燥した風が、17世紀頃からパスタ工房を増やす。パスタの生産量が上がり、観賞用だったトマトが食用となってパスタソースになったのは18世紀。数多くの乾燥パスタの中でも粉の風味を楽しむなら、噛み応えあるパッケリがいい。魚をオイルと水でシンプルに煮たアクアパッツァの汁をパスタに吸わせて、だしと粉の風味を堪能できる。
島部
我が道を歩んだ独自の島料理、海を介して交流した民族の跡
地中海最大の島、シチリアは、地中海の覇権を争い多くの民族が入植。様々な民族が交易で運んだ食材が融合し、シチリア料理として定着した。
米、サトウキビ、アーモンド、レモン、サフラン、カカオはシチリア経由でイタリア本土に運ばれた。片やサルデーニャは、現在も独立心が旺盛な州。ほかとはルーツが異なり、元騎馬民族といわれるサルデーニャ人には馬の名手が多く、馬料理も有名。多くの謎に包まれた島。
（19）シチリア自治州／イワシのベッカフィーコ
貴族が狩猟で食したツグミの一種を、オラも食べたいと庶民が発明したもどき料理。尻尾はくちばしとか。イワシの中身はパン粉にレーズン、松の実。庶民の発想が貴族料理を超えた名作。レーズンや松の実は、かつてシチリアを支配したアラブ民族の置き土産。他民族の影響が残る料理多し。
（20）サルデーニャ自治州／貝のフレーゴラ
古代の面影、原始的風景が残るサルデーニャ。沿岸は魚介、内陸は肉料理や羊飼いの素朴な料理が中心。パスタは独特で手工芸のように凝った形状も多い。フレーゴラはセモリナ粉をふるい、細かい粒状に乾燥させるこの州特有の形。スープとの相性がよく、貝の旨味をしっかり吸わせて食べる。
