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30代で漁師に転身、大好きな小坪の海へ。小さな漁場で未来を描く

朝焼けと共に一人で舟を出し、ワカメや蛸を積んで帰ってくる。その生活は、当然ながら海を中心として回っている。神奈川県逗子市にある小坪漁港で漁師として生きる、植原和馬さん。環境の変化が叫ばれる昨今の状況をどんな風に見て、対処しているのか。海と共に暮らす、本当の豊かさについて聞いた。

photo: Yasuma Miura / text: Toshiya Muraoka

逗子マリーナの隣、
相模湾で最も小さな漁場

逗子マリーナの東側にある小坪漁港は、小さな港だ。海沿いを走る国道134号線とは接していないために、長閑な空気の漂う港町。10t以下の小型船で漁を行う沿岸漁業がメインであり、季節ごとに漁の対象は移ろっていく。冬の鮑、春のワカメ、初夏の蛸。「見突き」と呼ばれる海中を樽のような眼鏡で覗く漁法で、貝や海藻類を獲ることが多い。相模湾の中でもっとも狭い漁場ながら、最盛期には70軒以上の漁師小屋が小さな浜に立ち並んでいたという。

その漁場が、ここ数年で大きく変わっている。かつて獲れた貝や海藻が減り、海が荒れているという。仕掛けた蛸網を上げながら、素早く蛸を回収しては、内臓を処理していく。その手際の良さに見惚れながら、小坪の漁師に、“今の海”を聞いた。

タコを水揚げする漁師の植原和馬さん
前日に仕掛けた蛸網を上げていく。江戸前寿司のネタとして有名な“佐島の蛸”は、すぐ隣の漁場。つまりは、小坪の蛸も非常に美味しい。

異業種から転身し
海を身体で覚えていく

植原和馬さんが漁師になったのは、およそ15年前。アパレルのディレクターとして働いていたが、「ここで生活したい」と、東京から移住して小坪の漁業組合の扉を叩く。当時は外から人を入れることなど想定していない漁協は、ほとんど相手にしてくれなかったという。植原さんはどうにか伝手を手繰り、漁師の見習いとなって、仕事を覚えていった。

2年間かけて、海中の地形を覚え、どこにワカメが生え、どうやったら鮑を剥がすことができるのか、体で学んでいった。独立してからも先輩の動きを横目で観察しながら、少しずつ自分なりに技術を蓄えていく。数年は好調だったが、少しずつ、だが驚くほど早く、海の中は大きく変化していったという。

「毎年、同じ6月じゃないからね。俺が漁師になってからの15年だけでも、環境は変わったよ。黒潮の蛇行が何年も続いて、水温が上がってる。それでムラサキウニが増えて、海藻を食べられてしまう磯焼けがひどくなってしまった」

鮑やトコブシの生息していた岩礁の隙間に、びっしりとウニが並ぶようになり、海藻を食べてしまう。その収入源を賄うようにして、少なくなった鮑を獲り、伊勢海老のための網の数を増やせば、その分だけ海が疲弊してしまう。

負のスパイラルから抜け出すべく、植原さんら数名の漁師と、地元の名スーパー・スズキヤなどが手を組んで、合弁会社を立ち上げた。ウニの駆除は以前から行っていたが、そのウニに餌をやり、食用に適するほど身をつけさせて出荷し、収入源とするようになった。

「普通にウニを獲ってきただけでは、スカスカで食べるところがほとんどないんですね。なのでGW明けに獲ってきたウニに、およそ3ヶ月、海藻を与えて育てて、出荷の直前にはキャベツを与えてます。ウニの養殖は、磯焼け対策と同時に、漁師の収入にも繋がるから。

今では海には大型のウニがいなくなって、小型のウニばかりになったと思う。ウニが小さければその分だけ生命力は弱いから、一時期よりは海の状況が改善している、良い兆候だと思う」

今の海に適した生物が
これからの海に残っていく

さらには、岩牡蠣や海ぶどうの養殖なども行っている。どちらもかつての小坪では考えられなかった品目だが、神奈川県の漁業協同組合と共に少しずつ実験を繰り返しつつ、植原さんは「栽培漁業」の必要性を説く。

「獲るだけでは賄えないから栽培漁業をしているわけだけど、海の中の環境を考えたら、こういうことをやっていった方がいい。蛸漁も小坪で独自の禁漁期間を設けたり、できるだけ資源を守ろうとはしてます。今の海に適したものが残っていくんだと思う。

ただね、それはあくまで人間の尺度で考えていること。漁師って口伝で物事を伝えていくから、本当に古い昔の話ってあんまり残っていないんですね。爺様に聞いても昔のことはわからないことが多いんだけど、実は海の状況って、人間の一生よりもずっと長いスパンで変わっている気もする。自然のサイクルの長さを感じるというか。

黒潮の蛇行が元に戻れば魚も戻ってくるかもしれない。漁師にできるのは、その変化に合わせて経験を蓄積させることくらい。常に変化に鋭敏な感覚を持とうと思っているよ」

植原さんが15年前に漁業権を取得して、漁師になろうと考えた頃と比べれば、漁師の数も減り、新規参入の若い漁師が少しずつ増えているという。若手の漁師は植原さんと意志を同じくして、未来を憂いつつ、新しい漁業にチャレンジしている。

小坪の沖では、うねりがヒットすれば日本でも有数の波が立つクラシックなサーフポイントがあり、植原さんは漁の隙をついては、波に乗っている。仕事場と遊び場が同じで、毎日のように眺め、身を浸している海が、どのように変わっていくのか。その変化に敏感である生き方を、あるいは漁師と呼ぶのかもしれない。

「はい、お土産」と言って渡された蛸は、内臓がすべて出されているにもかかわらず、まだまだ吸盤の吸い付く力は強く、引き剥がすのに苦労するほどだった。