古舘佑太郎
僕が子供の頃に、お会いしてるんですよね?
大根仁
2002~03年くらいかな。僕は古舘伊知郎さんの番組のディレクターで。番組の事前打ち合わせを、珍しく「今日はうちでやろう」って言うので、作家とかADとみんなで行って、っていう時に「これ、息子」「ああ、どうも」と。
古舘
その後、父からよく大根さんの話は聞いていたんです。「大根っていう、変わった、面白いやつがいるんだよ」と。
大根
俺が佑太郎くんを知ったのは、『閃光ライオット』にThe SALOVERSで出た時。僕らよりもだいぶ下の世代で、まったく新しい文脈で音楽をやっているいいバンドが、いくつか出てきてた。『バンドを始めた頃』(2011年)っていうアルバムが、すごくいいと思って聴いていました。
古舘
ありがとうございます。あの頃は、同時期にデビューしたり、一緒にライブをやったりしていた、N'夙川BOYSや女王蜂が、大根さんの映画『モテキ』に出ていて、それにすごい嫉妬を覚えたんです。自分たちは大根さんには知られてない、大根さんと自分が交わる日はないんだろうな、という気持ちで、気づいたら30歳を越えていた。それで去年旅に出た時に、大根さんが僕のインスタを紹介してくれているのを知って。
大根
最初から見ていて、おもしれえなと。
古舘
2回目のバンドも解散して、今まで自分がなんとかしがみついてきたものが、全部終わっちゃって、迷子の状態で旅に出ました。そしたら、大根さんが振り向いてくれて……僕は、人から共感されるとはまったく思いもせずに旅をしていたんです。音楽では、共感がすべてだと思い込んでいて、メロディも歌詞も、とにかくわかりやすく、もっと伝わるものを……っていう強迫観念みたいなものがあった。でもあの旅は、共感なんて考えてもいなかったのに、大根さんとつながれた。
大根
俺が面白いと思ったのは、やっぱり、自発的に行ってないこと(笑)。人に言われて、致し方なく、しかも人のカネで。本の帯の推薦コメントで、インドや東南アジアを放浪する旅の代表作としてわかりやすいから、『深夜特急』や猿岩石を引き合いに出したんだけど。『深夜特急』は、ひどい目に遭うけど、最終的にはロマンがあるじゃないですか。猿岩石もひどい目に遭うけど、最終的には感動があった。佑太郎くんの本は、そのどっちもない(笑)。
古舘
僕の中ではあったんですよ!
大根
ただただ面白い。そこが新しいなと思った。旅をしたからって、別に急に何か変わるわけではないじゃない?
古舘
いや、ほんとそうです。この旅で、自分の人生が全部ひっくり返る、みたいなことは全然なくて。むしろ、変わらない自分に気づいて、「どうしようもねえな」と。
大根
そうそう。
古舘
「俺、インドでガンジス川に入ってもこんな感じなんだ?」みたいな。でも、それを許せた部分はあって。バンドで結果が出ないことに対するコンプレックスで、ずっと自分を認められなかったんですけど、今は、なんにも変われない、情けない自分を、自分ぐらいは許してやろう、っていう。今までは、自分がこうしたい、という枠から外れるのがイヤだったんですけど。川に流されるみたいな感覚で、来た仕事の流れに身を任せるというのも、楽しくなってきた。それは旅で学んだことだと思います。それが僕の感動ポイントなんですけど。ないって言われた感動ポイント(笑)。
大根
まあ、これで名曲ができるぐらいだったら、苦労しないもんね、みんなね。
古舘
はい。一曲もできないです。
大根
何年後かに、効いてくると思うよ。
