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渋谷で愛された味を、この町で再び。10年ぶりに帰ってきた代官山〈有昌 Astage〉

家族経営で人件費がかからない、家賃が要らない、という理由で成り立っていた古き良き町中華は、後継者不足や高齢化、町の再開発などを理由に、今や絶滅の危機。さて今日は町中華、の気持ちに応えてくれる店は減る一方だ。店と味を守ろうとする、代官山〈有昌 Astage〉の、今。

photo: Hisashi Okamoto / text: Haruka Koishihara

10年ぶりに帰ってきたシイタケの甘い香り

昭和45(1970)年創業の〈有昌(ゆうしょう)〉の歴史は、実は12年前に一度潰(つい)えていた。

前身となる店が神宮前で誕生し、後に渋谷・並木橋に移転。名物・しいたけソバを筆頭に、一見どこにでもありそうで、その実さりげなく尖っている数々の料理で人気を博していた名店が、2013年に突然の閉店を余儀なくされたのだ。この時、初代である父・橋本英雄さんからすでにたすきを受け取っていた橋本和雄さんは「必ずもう一回やります」と、常連客への誓いの言葉を扉に貼り出して並木橋を去った。

しいたけソバ
橋本さんが物心ついた時には存在していたという〈有昌〉の永世定番。1週間かけてこっくりと甘く煮込まれたシイタケの味が、食べ進むにつれ澄んだスープに溶け込む。1,100円。

常連客や地元の仲間が足を運びやすいよう、元の場所から遠くないエリアで復活させると心に決めていた。さりとて簡単には見つからず、さまざまな飲食店で働きながらパートナーの敦子さんと二人三脚で物件探しに奔走。円山町の焼き鳥店で間借り営業をしたこともあったが、ただその時が至るのを待った。

そして、23年9月。〈有昌〉は蘇った。屋号にひとさじの新味を加え、渋谷に程近い代官山の路地裏に立つ住居風建物の2階に。外階段の下に置いてある「中華麺 有昌」と書かれた立て看板は、かつて並木橋で使われていたもの。〈有昌〉の味を待望した人々への目印だ。

「町中華というジャンル自体が絶滅の危機の時代に、昔のような店をイチからは作れないと思うんです。ここは路面でもないし町中華らしい風情はないけれど、こうでもしないと再出発できなかった」

渋谷の、あの味が帰ってきた。

有昌 Astageの厨房
厨房はさながらコックピット。「狭くて餃子は作れない」そうだが、立地が最優先だった。