地理的条件に基づき、国際情勢を分析する学問
日本ではここ数年で特に注目されるようになった地政学。国際政治を考察するにあたって、地理的な条件を重視し、政治的、社会的、軍事的な決定や影響を分析する学問のことだ。
例えば、海に囲まれた島国の日本と、周囲を他国と接する内陸国では、国民性や国家戦略などに大きな違いが生じる。領土に外部の侵入を阻む山岳地帯や険しい海岸線があれば、それが自然の砦になるように、安全保障戦略にも大きな影響を及ぼす。空港や港、鉄道網や道路網も、地理的な条件に基づいて構築されていることが多い。このようなことからも、安全保障や国の成長戦略を考えるうえで、地理がいかに重要かということがわかるだろう。
地政学はもともと欧州で誕生した学問で、100年以上もの歴史がある。国家間の紛争(戦争)を紐解くために研究が進められ、戦前・戦中の帝国主義的な領土拡張政策と親和性が高かった。戦後の米ソ冷戦下でも、地政学的な考えに基づいて、自国の利益を拡張するための戦略として用いられてきた背景がある。
国際政治学や国際関係論、安全保障研究、戦略研究などと親和性が高いこともあり、国際社会では不可欠な視点として、多角的な研究が進められている。
近年の地政学ブームのきっかけとなったのは、アメリカの第13代連邦準備制度理事会(FRB)議長アラン・グリーンスパンといわれている。彼は議長在任中の2002年9月、世界経済に広がる不確実性の主な原因として、「最近高まっている地政学リスク」と言及したのだ。
市場原理や経済学的な合理性では説明しづらい不透明感をそう呼んだのだが、この発言があったのは、アメリカ同時多発テロの約1年後。アメリカがアフガニスタンを軍事攻撃し、次はイラクか?と言われていた頃で、このキーワードがしっくりとはまったようだった。それから、市場原理で説明できないものが「地政学リスク」という言葉で表現されることが多くなったのだ。
また、16年の英国の欧州連合離脱(ブレグジット)やトランプ政権誕生など、事前予測では誰もが「あり得ない」「起こりそうにない」と思っていたことが現実のものとなった。
日本でも、米中対立の緊張が高まる中、16年以降、北朝鮮が弾道ミサイル発射や核実験を繰り返し、朝鮮半島有事への懸念が生じてきた。直近では台湾有事もにわかに現実味を帯びてきている。一方、既に顕在化している地政学リスクは米中対立だ。輸出入、投資、サプライチェーンなどの多岐にわたる影響はもう生じている。
日本と地理的に近い場所にも紛争の火種があるのは事実であり、ビジネスの現場でも、もはや「地政学リスク」が無視できなくなっているのが現状だ。だからこそビジネスパーソンも、地政学的な観点を取り入れる必要があるというわけだ。
地理的条件に着目し、世界各国の動向を分析する
欧米諸国では、国際政治に不可欠な視点である地政学の研究が盛ん。日本にとっては、国際情勢は海の向こうの話かもしれないが、グローバル化が加速する中、地政学の重要性が高まっていることを語っている。
年々高まる国際的な緊張。ビジネスも無縁ではない
地政学を知るうえで、伝統的なものといえば、「ランドパワー」と「シーパワー」という考え方だ。これは覇権争いの鍵を握る概念で、歴史を振り返ると、常にこの二大勢力の衝突があったといえよう。
「ランドパワー」とは、ロシアや中国など、陸続きで他国と国境を接している大陸国家のこと。ユーラシア大陸内部の国々を指す。広大な国土を持ち、車や鉄道などの陸上輸送に長けている。基幹的な戦力は陸軍力。陸路を介して侵攻を続け、自国領土を拡張させていくのが特徴だ。
一方の「シーパワー」は、島国の日本やイギリスのように、国境の多くが海に接し、大洋へのアクセス環境がよい海洋国家のこと。国土の東西に長い海岸線を持つアメリカもシーパワーの国だ。海を介して世界中のあらゆる場所にアクセスできるのが強みで、基幹的な戦力は海軍力。自国の領土とは離れた場所に拠点を造り、それらをつないで影響面積を拡張していく戦略を取っていく。
「ランドパワー」と「シーパワー」のせめぎ合いは、現在進行形で行われている。ロシアがウクライナ侵攻に先立ち、クリミア半島を実効支配してきたのはその典型だ。クリミア併合はロシアによる伝統的な「南下政策」、つまり「不凍港(冬でも凍結しない港)」獲得のための試みともいえる。クリミアを押さえておけば、黒海経由での大洋へのアクセスが可能になる。
しかし、複雑な国際情勢や政治状況は「ランドパワー」「シーパワー」だけで説明できるものでもない。ロシアのウクライナ侵攻は主に軍事的な直接攻撃だが、2度の世界大戦や冷戦時代を経て、戦争の形も変わり続けている。それが、「ハイブリッド戦争」と呼ばれるものだ。
現代は、武力を用いなくとも、政治、経済、外交などの手段を用いた攻撃やプロパガンダなどの情報戦、サイバー攻撃、テロ行為など、相手国に影響力を行使する方法はいくらでもある。実際にこうした戦争ギリギリの活動は国家間で行われている。
このような地政学リスクは当然、ビジネスにも大きな影響を及ぼす。例えば、その国の企業との輸出入や投資は大丈夫か?海外拠点を構えている場合は、そのまま拠点を維持してもいいのか?など、多くの判断を迫られることになるだろう。
地政学といえば、「ランドパワー」と「シーパワー」?
日本で「地政学」が注目されるようになり、よく耳にするのが「ランドパワー」と「シーパワー」。歴史的に国家間の争い事は、この2勢力に分けられる。ただし、地理的条件は重要ではあるが、さまざまな要因が複合的に重なるため、すべてを決めるわけではない。
事業戦略上、無視できない地政学リスクとは?
今、日本のビジネスパーソンとして動向を押さえておいた方がいい地政学上のリスクを3つ挙げると、相互に関連する「米中対立」「経済安保」「台湾有事」のリスクだろう。「米中対立」は覇権国を争う競争とも言い換えられ、企業への影響は、アメリカの対中規制の強化、それに対する中国の対抗措置政策と多岐にわたる。「経済安保」は、日本が世界に先駆けて昨年5月に包括的法律を制定。この経済安全保障推進法は、企業への「支援」と「規制」の2つの側面がある。また、欧州でも経済安保戦略が公開された。
「台湾有事」は台湾だけでなく、中国や日本にも波及し、万が一顕在化すれば甚大な影響は必至だ。
地政学や国際政治学は、起きたことの説明や検証のための学問ではあるが、これらの視点を持つことで、近い将来に起きる出来事の方向性を予測していくことはできるはずだ。ビジネスの現場では、「今後どうなるか」という部分に常に関心が集まる。そこで、さまざまな情報を収集したうえで、ある程度の根拠とロジックで判断していけるようになれば、きっと強みとなるだろう。
海外ニュースをチェックし、信頼できる専門家をフォロー
各国の情報機関などは、予算や人材を投入し、偵察衛星や通信傍受などのあらゆる手段を駆使して情報収集を行っている。「ヒューマンインテリジェンス(人的情報収集)」も含まれる。
とはいえ、一般の人がアクセスしづらい情報がなければ分析できないかというと、実はそうでもない。報道機関の情報や、政府の各種発表といった公開情報だけでも、大まかな方向性を分析することはできるからだ。実際、米ソ冷戦下で、アメリカがソ連の動向を分析するために用いた公開情報は80〜95%といわれているほどだ。
公開情報に接するにあたって重要なのは、どう情報を読み解くかだ。例えば政府系の機関紙はプロパガンダが多く、特定の意味を持ったメッセージを発することもある。こうしたことは、専門的な知見がないと気づきにくい。
しかし、ビジネスにおいて、こうした公開情報に接しておくことはとても重要なこと。仕事で関連がある国の報道機関が報じるニュースや政府発表をチェックしていると、気づけることもあるはずだ。
この際、英語や現地語のニュースの方が、日本とは違う視点を持ち、深掘りされていることも多いので参考になる。自分のビジネスに関連する分野のニュースも重点的に見るのもいいだろう。
また、自分が信頼できる専門家の目星をつけておくこともおすすめしたい。過去の発言や発表をチェックして、「この人の見立てはバランスがいい」「情報源や評価結果が信用できる」という人を複数見つけておくと、自分が判断を下す時にも、何らかの指針になってくれるだろう。
地政学や国際政治の観点から、ビジネス上のリスクを分析・対処するスキルは、今後ますます重要視されるだろう。しかし、リスク回避だけでなく、それが逆にビジネスチャンスにつながることも大いにある。リスク管理スキルは、常に変化する時代の羅針盤となるはずだ。
進化する「ハイブリッド戦争」はビジネスにも影響を及ぼす
第二次世界大戦後、国際条約等によって大国間の全面戦争は現実的ではなくなったが、戦争がなくなったわけではない。国境があり、各国に異なる利益がある限り、火種はくすぶり続ける。そこで、軍事的手段と非軍事的手段を融合した「ハイブリッド戦争」が登場。