田中俊行
鶴岡さんは何がきっかけで民間仏を集め始めたんですか?
鶴岡幸彦
最初は古い器でしたね。江戸時代の蕎麦猪口(ちょこ)を蒐集(しゅうしゅう)するうちに古民具や古民芸にも興味が湧き、その延長線上にある民間仏を集め始めたのが40年ほど前。民間仏に定義はありませんが、仏師や高僧が作った仏様ではなく、土地の大工さんや多少の技術を持つ素人によるものが多いと思います。
田中
僕、民間仏は仏というより「人」に近いと感じるんです。お寺で荘厳な仏像を前にすると完璧すぎてその神々しさとともになぜか遠くに感じる。ですが、民間仏にはそれがない。
鶴岡
よくわかりますよ。飛鳥時代から鎌倉頃までの仏像や神像は、崇高で畏(おそ)れ多い存在。それが戦乱の世を経て江戸時代になり、庶民が自分のために作って家に祀るということも広まった。民衆が一対一で向き合い、「お願いね」と心の内で訴えかけるのが民間仏で、私はそこに和みを感じます。
田中
表情がいいですね。狙ってないというか心の赴くままというか。木の塊みたいなお地蔵さん(1)も良い顔。おでこが広く目鼻が“ひ”の字(笑)。

鶴岡
両手を上げたような像は恵比寿さん(2)。こんなふうに、「烏帽子(えぼし)を被って鯛を抱えたのが恵比寿像」という定型から外れたものも現れます。

田中
うわ、自由ですね。なぜこの形に?と想像できる余白があります。
鶴岡
古来、日本人はすべてのものに神様がいると考えてきたでしょう?井戸にも便所にも神がいて、そこが異界に通ずる出入口だ、と。田中さんが集めていらっしゃる呪いや占いのものも、そういう民間信仰の一部ですね。
田中
はい、昔は日常の中に異界との境界が確かにあった。だから僕は民間仏に畏れみたいなものも感じます。例えば、丸太を2つ繋いだコレを見ると、ちょっと怖い。

鶴岡
これはおそらく道祖神。もともと村の境に置かれ、村の中に魔物や災いが入るのを避けたお守りです。怖いというのは素直な感覚だと思いますよ。
田中
何の形かわからなくなってる大黒さん(3・4)もいいですね。
鶴岡
ね、いいんですよ。民間仏は、祀られていた家を壊す時に燃やされたり捨てられたりすることが多いのですが、よくぞ残って私のところへ来てくれた、と愛おしくなる。だからこそ次の世代の人に知ってほしいし、当時の生活にも思いを馳せてほしくて、民間仏の展覧会を開いたり、インスタグラムで写真を発信したりしているんです。
田中
鶴岡さんの展覧会は、実際に触れられる点が素敵でした。身近なものだと実感できたし、「今」の願いを形にしたものなんだな、と。来世でどうこうじゃなく、今のしんどさから救ってほしいと祈る対象だったのですね。
鶴岡
民衆とともに暮らし、すぐそばに寄り添っていたのが民間仏。ささやかで素朴な祈りの形なんです。
