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世界初?宇宙に連れて行かれた男の話。Vol.6(最終回):平野が宇宙に行った理由。え、もう帰らないといけないの?

1961年にユーリ・ガガーリンが宇宙に行って半世紀ちょっと。宇宙に行った人は世界でも560人弱である。今でも宇宙飛行士になるのは狭き門なのだ。しかし、おそらく世界で初めて、さほど行きたくもなかったのに、宇宙に行ってしまった男がいる。これは、前澤友作の付き人であり、驚くほど自然体なのに数奇な運命を辿った、平野陽三という男の物語である。

photo: Yozo Hirano / text: Atsunori Takeda

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前澤友作さん一行が国際宇宙ステーション(ISS)に滞在したのは274時間9分。11泊と10時間9分。

平野たちが乗ってきたソユーズ宇宙船がISSにドッキングしている。黒いてるてる坊主の頭部に当たる軌道モジュールから乗り込み、中央のドーム型の帰還モジュールに搭乗する。地上に帰るのは帰還モジュールのみだ。

「最初の2日間は宇宙酔いがひどくて『まだ10日もあるのか……』と思っていたのが、3日目以降は本当にあっという間で、『え、もう帰らないといけないの?』みたいな。寂しいというよりも、撮り逃しているものがないか、やり忘れたことがないかという焦りが大きかったですね」

なにしろずっと分刻みのスケジュールをこなしてきたから。自由時間にもやることが山のようにあった。

「ほとんどなにかしら撮影していましたね。まず地球の写真。ISSが何時何分何秒にどこを通るかを前澤さんが『SIGMA(シグマ)』というソフトで割り出してくれるので、その時間になったら窓に張り付いて撮影したりとか」

ISSの軌道高度は約400km。東京湾の写真はこんなふうに撮ることができる。

「地球って7割が海なので、撮りたいところを撮るのはピンポイントなんです。例えばキレイに日本列島を撮るには、日本が昼の時間帯に上空を通過し、なおかつ雲がかかっていないことが条件。12日間だとそんなに何度もチャンスはなくて、それを逃さないようカメラを構えていました」

「あとは、公募した方やお世話になっているみなさんの写真をお預かりして、地球をバックに撮影していました。かなりの枚数を撮ったのですが、ご家族や大切な方と写っている写真を私たちに託してくれたことにジーンとして、キューポラなどでそれを撮影している時間にはまさにラブ&ピースを感じました」

地球を背景にした公募で集められた写真
地球から持ち込んだ写真は約200枚。確かにこれはすばらしい記念になる。隙あらば地球を背景に撮影していた。

ロマンチックなツーショット

そして最後まで前澤さんを撮る。それが職分だが、いわゆる“撮れ高”など計算できる類いのものではないし、撮り直しは絶対不可能だし、焦りが募ったというのもやむなしであった。

結局、帰路についてもなお、「ちゃんと撮れたのだろうか」と反芻していたという。そんなふうに12日間ずっとモヤモヤしていた平野の、ISSでのいちばん幸せな瞬間とは。

「キューポラから地球を眺めていたときですね。無重力でフワフワ浮きながら、地球って丸くて青くて美しいなとただぼんやり感じる。時間が止まったような気がしました。

「そこで前澤さんに『世界中ホントにいろんなところを飛び回ったけど、ついに宇宙まで来ちゃったね』ってボソッと言われ、『いや本当に宇宙まで来ちゃいましたね』って。

男2人で地球を見ながら話していて、客観的に見たらちょっとロマンチックなシーンだなって思っちゃいました(笑)。もちろん社長と部下、師弟関係ではあるんですけど、その瞬間だけは人間と人間というか、なにか対等な感じでしみじみしゃべることができたっていうのが、旅の思い出としては一番ですかね」

あとは、こんなくだらなくも楽しかった思い出も。

「宇宙に着いて何日か経った頃、前澤さんから『性欲が全然湧かなくない?』と。たしかに言われてみればまったく湧かないんですよね。もちろんそういう場でないと思うんですが、いろいろ二人で考えた結果、無重力下だと血が上半身に滞留して、下半身に向かいづらく、そうなるための十分な血液が足りてないのではないかと。

『今日どう?』『いや、全然ダメですね』みたいな会話をして笑い合ってました」

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秒速7km、摂氏1万度。大気圏再突入

そして前澤さん一行は帰路についた。

写真はまさにISSのクルーたちに別れを告げる前澤さん。

帰りのソユーズに乗り込み、2021年12月19日23時50分(UTC=協定世界時)、ISSとのアンドッキング(切り離し)に成功。平野陽三も無事に帰ることになった。

帰還時の最大の“イベント”は大気圏再突入である。3人を載せたソユーズの帰還モジュールは、秒速7km以上の超高速で大気圏に突入するため、前方の空気をすごい勢いで押しつぶしながら進んでいく。このとき空気中の分子同士が激しくぶつかり合って熱が発生。モジュール外部は1万度に達することもあるという。

大気圏再突入時のモジュール内部。

「中は熱くはありませんが、窓の外がみるみる真っ赤になっていくので、本当に大丈夫かと少しヒヤヒヤしました。それよりも5Gもの重力加速度が身体にかかっていて、失神しないように足と腹筋に力を入れて呼吸法で集中していたため、いろいろ考える余裕はありませんでした。

訓練で行ったセントリフュージ(G耐久テスト)よりも体感で長く感じました。その間はとても話したりはできない状況でした。火花が散るパチパチという音から次第にゴゴゴゴと業火の音に変わっていった……ように記憶しているのですが、イメージが強く残っているだけで、船内まで外の音が聞こえていたかどうかは定かではありません」

帰還

ISSのアンドッキングから約3時間後、12月20日午前8時13分(ロシア時間)、カザフスタン・カザフステップ荒野に着陸。地上では飛行機3機、ヘリ12機、特殊車両6台が平野たちの帰還に備えてスタンバイしていたという。

大気圏再突入後、地上10kmでパラシュートを開き、落下速度を約3分の1に減速。

「ソユーズの着地はよく『クルマがトラックに追突されたような衝撃』と例えられるのですが、まさにそんな感じでした。それでも地表まで80cmという瞬間に軟着陸用エンジンを噴射して着陸の衝撃を緩和、シートライナーも着陸前に少し起き上がってクッションします。実際の着陸は訓練できないので、机上での勉強だけでしたが、実際に体験すると技術のすごさに感心しました。

ちなみに、着陸よりもパラシュートの衝撃が大きかったです。開いた瞬間にガツンときてランダムに激しく揺れ、『これって正常なの?』と二人してミシュルキン船長に聞くと、『これはまだマシな方』と笑っていました」

着地後、スタッフたちにカプセルから引き上げられる平野。

「着陸してハッチが開けられ救助クルーがロシア語で『おかえり』と言ってくれました。でもシートから起き上がれない。まるでぴったりシートにくっついてしまったように、自分の体が重すぎて……。

なんとかスタッフに引き上げてもらい、護送車みたいなイカつい車で空港へと移動しました。その間、“地上酔い”がきました。船から降りたあとに地上でもまだ船に乗っているように感じる、あの感覚の強い版です」

ただその酔いも、ウォッカの酔いで無事に上書きされたという。スターシティのガガーリン訓練センターまで戻って、パーティーが開かれた。

「ミシュルキンさんの奥さんやご友人も駆けつけてくれて、無事の帰還を祝ってくれました。宇宙の思い出話をしたり、逆に地上での舞台裏の話を聞いたり、この宇宙の旅がそれぞれにとってどんな旅だったかというような話をしました」

帰還後の記念写真
笑顔で帰還会見をする3人。

平野が宇宙に行った理由

そして2年の月日が流れ去り、平野陽三にあらためて宇宙の感想を聞いてみた。

「ロスというほどではないですね。前澤さんと一緒に僕が行ったことで“宇宙飛行士ではない仕事”ができた価値はあるはずですが、あらためて、僕じゃない人が行くべきだなとも思いました。最初と考えは変わらずで、ロマンを感じて、何かを成し遂げたい人が行く場所ですよね。

前澤さんが言っている『アーティストが、宇宙から地球を見たら、きっと何か変わると思う』という感覚にすごく近いと思います。僕じゃない誰かが行ったら、新しいなにかを生み出したり、変化を得るようなパワーが確実にある場所です」

平野自身、普通の人間を自認しているけれど、普通では考えられない体験を経て、映画を生み出すことになった。

「これはね、前澤さんが“やらせてくれている”んです。10年前に『映画を撮りたい』って言って会社を飛び出したまま映画を撮ることなく戻ってきた男への親心だと思います。

だからこそそれに甘んじず、客観視した作品を目指して構成し、演出したつもりです。でも前澤さんは『お前がやりたかったことなんでしょ?なんか楽しそうだからやってみたらいいんじゃない』って感じだと思います(笑)」

やりたい。楽しそう。そのシンプルさは、前澤さんが宇宙に行った理由でもある。帰還後の前澤さんはあらためて世界平和に思いを馳せた。では、平野自身の変化は?

「本当にかけがえのない12日間だったなと思います。宇宙滞在だけでなく訓練期間も含め、楽しいことも嬉しいことも、苦しいことも大変なことも、終わってみればすべてがかけがえのない日々でした。自分一人の力じゃ何もできないことを痛感しましたし、仲間に支えられ、いろんな人たちから教えを受けて宇宙に行かせてもらえた」

12日間ほんとにタスクをこなすことで必死だったので、もっと撮影できたこともあったんじゃないかとか、もっと自身の深層と向き合うためのゆったりとした時間をつくるべきだったんじゃないかとか、今にしていろいろ思ったりもするんですけど。でも、おそらく当時できたことはあれ以上でもあれ以下でもなく、とりあえずは必死になにかを残そうとはしていたんだと思います」

そして『僕が宇宙に行った理由』が残された。

〜完〜

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