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世界初?宇宙に連れて行かれた男の話。Vol.1:映画『僕が宇宙に行った理由』で結実した別の夢

1961年にユーリ・ガガーリンが宇宙に行って半世紀ちょっと。宇宙に行った人は世界でも560人弱である。今でも宇宙飛行士になるのは狭き門なのだ。しかし、おそらく世界で初めて、さほど行きたくもなかったのに、宇宙に行ってしまった男がいる。これは、前澤友作の付き人であり、驚くほど自然体なのに数奇な運命を辿った、平野陽三という男の物語である。

photo: Yozo Hirano / text: Atsunori Takeda

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映画『僕が宇宙に行った理由』で結実した別の夢

2021年12月、実業家の前澤友作さんが宇宙を旅した。ロシアの宇宙船・ソユーズで打ち上げられ、国際宇宙ステーション(ISS)で12日間を過ごして帰還。ISSでの様子はテレビ中継やYouTubeなどで観られたので、覚えている人も多いだろう。では、そのとき、前澤さんと一緒に宇宙に行った人のことをみなさんは覚えているだろうか。というか、そもそも認識しているだろうか。

彼の名は、平野陽三。宇宙に渡航し、ISSで12日間を過ごし、地球のみんなのリクエストに応えて実験をしたり宇宙の感動を素直に語る前澤さんのサポートを行い、撮影をするために同行した人物である。そんな彼が、前澤さんの宇宙への挑戦を、ドキュメンタリー映画『僕が宇宙へ行った理由』として完成させた。スタッフクレジットは「撮影・監督」。実際に宇宙に渡航した人物が、撮影を行い監督を務めた映画は、世界でも“あまり”類を見ない。日本では初めての作品になるという。

前澤さんは、創業した〈ZOZOTOWN〉の経営を退き、圧倒的財力と超人的なバイタリティを背景に「宇宙に行く」という自身の夢を実現したが、BRUTUS.jpでは、彼と行動を共にした平野陽三という人物にスポットを当て、この映画のB面を紐解いていく。

キューポラに忍び込んで撮影しました(笑)

映画『僕が宇宙に行った理由』ポスター
NASAのキューポラは、ISSの中でも地球をバックに撮影ができる数少ない場所。時間も計算してシャッターを押した、貴重な一枚。

取材の入り口は宣伝担当の方が持ち込んだ映画のポスターパネル。胎児のような姿勢の前澤さんの背景には宇宙ステーション然とした機器と、さらに青い地球。

「ほかの飛行士さんたちがみんな寝静まってる夜中の時間帯に、前澤さんとキューポラに忍び込んで撮影したんです」

正直、いくらでもCGでつくることができるだろう。でも実際に無重力状態で浮遊する前澤さんを、ISSのNASA棟にあるキューポラで本物の地球をバックに撮影した写真だ。

「僕らはロシアの船で行ったので、生活はロシアのモジュールなんですよ。キューポラのあるNASA棟に入るには必ず許可が必要で、12日間の滞在中に2回、各2時間使用許可を得ていたんですが、他の動画撮影や取材で時間が足りなくなって、“写真も撮っておきたいよね”と前澤さんと話をして、帰る間際の夜中にこっそり……」

とはいえ、地上には許可を得なかったものの現場に話は通したと言う。と、サラッと書いたが“地上”とはヒューストン、“現場”とはNASAの宇宙飛行士のみなさんのことである。

ソユーズの打ち上げ風景
カザフスタン共和国にあるバイコヌール宇宙基地から打ち上げられたソユーズ「MS-20」。前澤さんと平野さん、コマンダーのアレクサンダー・ミシュルキンさんの3人を乗せて天に向かっていく。これまでのどんな映画の打ち上げシーンよりも轟音を体感できた。

地球がびっくりするほど青くて明るいことや、慣れるまではISS内で移動するだけであちこちぶつかることなど、プロ(=宇宙飛行士)ならば普通に慣れたりやり過ごしたりしてしまうようなことが、つぶさに語られる。前澤友作という民間人の宇宙旅行を、平野陽三という民間人が記録し、ありのままに伝える。誰もが宇宙に行ける時代のはじまりをリアルに観ることができる作品になっている。

このへんがまさに、この映画の強みだ。ISS内部の映像や宇宙の風景は、テレビのドキュメンタリーとか、NASA公式YouTubeなどで見たことはありますよね? でもそれらはすべて、いわば公式の映像。“こっそり”なんてあり得ないし、“せっかくだから撮っておこう”とか“映え”るから押さえておくなんてこともないだろう。

「とにかくあちこちに手すりが付いてるんですよ。それを手がかり足がかりにして移動するんですけど、1週間もすれば自由に動けるようになりました。キューポラの撮影のときも、前澤さんは動いてるんですけど、僕は手すりで体を固定しながら撮っていたんです」

国際宇宙ステーションの部屋の壁中に、さまざまな機材が貼り付けられている。
「撮影機材は重いので、真っ先に置いていく候補になります。だから、ISSには歴代の機材が残されるんです」。そうした機材たちは、居住スペース上部の邪魔にならない場所にマジックテープで固定される。壁の超望遠のカメラたちがそれである。

前澤友作じゃないと伝えられない言葉がある

プロは宇宙にやたら興奮したりはしない。するのかもしれないが、する瞬間は記録されていない。映画『僕が宇宙に行った理由』における前澤さんは、全身全霊で宇宙への憧れと、自分が宇宙に行けた喜びを表すのである。

人類初の宇宙飛行士となったユーリ・ガガーリンも、アメリカのアポロ計画で人類初めて月に降り立ったニール・アームストロングも歴史に残る言葉を残している。この映画で、前澤さんも宇宙に到達した一言をカメラの前で残している。それは両者に比べるとあまりにカジュアルだけれど、まさに前澤さんらしく、誰もが宇宙に行ける時代の幕開けにふさわしい言葉であった。それはぜひとも、スクリーンで体験してほしい。

これまで「人類が宇宙に行く」という営みには、国家という背景がついて回り、行く側にも、それが人類にとってどんなプラスになるのかという、強い使命感が覆い被さっていた。作中で前澤さんは軽やかに言う。「オレは完全に自分のお金で行かせてもらってるから遠慮なく感じたことが言える。伝えられる。そういう責任もある」

事実、世界的大富豪のひとりなので、主にお金にまつわることで、これまで様々なフィルター越しに見られてきた経緯がある。この発言もいくらでも揚げ足の取りようがあるけれど、宇宙における無邪気な喜び方とそこで得たシンプルな世界観は、きっと前澤友作という人に対する見方を変えるだろう。そして、その様子を平野のカメラはつぶさに捉えている。

ISSの窓から外を見る前澤友作
映画に記録されている前澤さんは、ずっと少年のような笑顔だった(ロシアでの回転椅子やGをかけるテストなど、ハードな検査やトレーニングは除く)。

ちなみに、そんな宇宙での一挙手一投足を撮り逃がすことのないように、平野はカメラの取り扱いの練習も地上でみっちり行ったらしい。ロシアで宇宙開発全般を取り仕切るロスコスモス(旧ロシア連邦宇宙局)でも、NASAでも訓練にカメラの講習の時間が盛り込まれていたという。

「今回、僕は〈GoPro〉みたいな小さなカメラを含め、個人で5台のカメラを持ち込んだんですが、撮影機材や精密機材は、事前に『ISSに持ち込んでも危険はない』というお墨付きをもらわないといけないんです。例えばバッテリーが宇宙空間で破裂したら火災の原因に成り得ますし、壊れやすい機器だったら破片が船内の機材の中に入り込む恐れもあります」

それで、事前に耐久試験や破壊テストをクリアしておく必要があるのだ。そうした安全面から、ISS内で過去に使用実績がある規格の機器がベースになるらしい。

NASAでのカメラ講習の模様。
NASAでのカメラ講習の模様。新しい機材に触れるのは、新鮮で楽しかったと平野さんは言う。

撮影機材をISSに置き去りにしてきた事情とは

かつ、今回の映画のために活躍した機材たちはすべてISSに置いてきたという。

「帰りに乗る帰還モジュールは軽くしないといけないので、持っていったペイロード(荷物)の半分は置いてくる決まりになっているんです。映画を撮るために活躍した撮影機材や、大きいものとかかさばるものとか、洋服も。服はカメラみたいに貼り付けずに捨てます。ゴミ専用のモジュールをドッキングさせてあって、排泄物とかもそこにとりあえずまとめておいて、いっぱいになったら切り離すんですよ。それを大気圏に突入させて燃やしてしまう」

映画では12日間のISS滞在を終えた3人を乗せ、ソユーズの帰還モジュールが大気圏に再突入する様子が描かれている。そのとき、外部の温度は1万℃に達するという。そりゃあTシャツもパーカもきれいさっぱり燃えてしまうだろう。

前澤さんが宇宙に残してきた洋服たち
前澤さんが着ているグレーのフーディーも泣く泣くISSに残してきた。

さて、前澤さんの宇宙旅行に同行し、様々な映像を残したけれど、それは平野の本業ではない。ずっと夢だった映画監督も、約半年間の訓練と12日間の宇宙滞在があり、貴重な映像をたくさん撮ってきたことで実現したプロジェクトのひとつだ。

「今回の前澤さんのISSのプロジェクトは、〈スペーストゥデイ〉という、前澤さんの宇宙関連プロジェクトを担う会社で進行管理をしていて、この映画の制作もその延長です。社内にはプロジェクト実現に向けて企画立案・実行するプロデューサーが何人かいて、僕もその一人」

だが平野自身は、そもそも宇宙に何の興味もなかった。ひょんなことから『スペーストゥデイ』に合流し、気づけばISSにまで行ってしまった。つまりは「行くつもりがなくて宇宙に行った史上初めての人」といえる。なぜそんなことになったのか。

平野陽三、15年前は〈ZOZOTOWN〉の倉庫で働くアルバイトであった。

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