風吹ジュンさんに「やさしい人といえば?」と聞いて、真っ先に挙がったのが塩見三省さんと國村隼さんのお二方。
「私が思うに、優しい人は頭の中に優しい音楽が流れている気がします。実際に塩見さんは優しいクラシック音楽を愛聴されてました」「嗅覚でだいたいわかるんです。だから、私が出会う方はどことなくみんなやさしい。この人とは話せる、近づけるという、距離感が本能でわかるというか」
18歳で上京、スカウトされ、企業のマスコットガールに抜擢されたのをキッカケに芸能界へ。以降、テレビドラマや映画などで活躍、年齢を重ねても少女のような愛らしさは変わらぬまま、「風吹」という芸名の通り、風が吹き抜けるような軽やかな存在であり続けている。
「自分が心地よくいられる場所を探してあっちへ、こっちへ。だから自由ではあるわね。大人になろうと思ったこともないし、きっとこのまま変わらずに生きていくんだろうなって。親のいない環境で育ってきたせいか、どうすれば自分が傷つかずにいられるのか、子供の頃からの知恵があるからなのかもしれないけれど」
実は風吹さんの子供時代は過酷だった。8年近く続いた両親の不仲は11歳のときに離婚で決着、13歳のときに一緒に暮らしていた母から「もう育てられないから……」と告げられ実家のある富山県高岡市から先に京都へ出て一人暮らしをしていた3歳上の兄の元へ行き2人で暮らすことに。保護者もいない知らない土地での生活は貧しく厳しいものだったそうだ。
「でもね、そこにこだわっちゃうと何事も前に進めないし成長できない。“人を呪わば穴二つ”って昔からある言葉ですが、だから私は憎んだりしないし、いろんな感情に執着せずに生きてきた。それが今の私だとすればそれでよかったんだなって」
風吹さんがモットーにしているのは「ホ・オポノポノ」。ハワイの人々に伝統的に伝わる「許しの習慣」。社会秩序を整えるための考え方だ。
「人に対して常にありがとう、ごめんなさい、感謝しています、愛しています、という気持ちを持とうと。それはすごく大事にしてます。優しくなれなくて心が荒れるときや苦手だと思う人に会ってしまった時こそ、理不尽でも心で呪文のように“ホ・オポノポノ”と相手に謝ってみるのはどうでしょう?邪気を祓うイメージです。やがて心は落ち着きます。
山登りをすると、すれ違うときに“こんにちは”って挨拶するでしょ。それは西洋から入ってきた山のルール。でも、下界に降りた途端、やらなくなっちゃう。エレベーターで知らない人が乗ってきたとき“こんにちは”となかなか声をかけない。日本人が社交下手だというのはあるけれど、どうしても受け身になってしまう。
でもね、こちらから声をかけなければ、向こうからも声はかからない。こっちが笑顔にならないと、向こうも笑顔になれないです。私は、そういうことを自然と学んできたと思うんです。笑顔が大事だって」
そして、微笑むだけでなく、人や物事に関心を持ち、それらを自分なりに感じることが「やさしさ」につながると風吹さんは言う。
「自分から“知ろう”“感じよう”とすることが大切だと思うんです。親しみを感じたり、共感したりすることから生まれてくる感情が優しさだと思うから。私たちは職業上、役を演じるので、虚像が一人歩きするんです。でも、いざ現場でご一緒したりすると、ああ、イメージと違うんだな、物腰が柔らかい人なんだなって。
人となりを知ればやさしい感情がお互いに芽生えエンパシー(思いやること)へと変わる。それは社会もそう。例えば、先日、パトリシオ・グスマン監督の『夢のアンデス』というドキュメンタリー映画の試写をたまたま観たんです。チリの独裁政権が国民に対してどれだけひどいことをしてきたのか、それを経験した人たちがアンデスの山を背景に語っているんです。
正直、私はいままで遠い国の出来事という感覚でしかなかったと思う。相手を共感することと同時に相手の立場に立って物事を考える、思い量ることが大切なのかな、と。やっぱり、“こんにちは”って声をかけて、自分の範囲外を、違うコミュニティを理解しなくちゃ。そうしないと自分も変わらないし日本も変わらないものね」