大前提は、自己無能感。
その無能さに素直になって、己に配慮する。
僕は死にたい人であれば誰でもかけることができる「いのっちの電話」という電話サービスをやっています。みんな自分にやさしくできずにいるから電話をかけてくる。そして基本的に、死にたいと思う人たちは100%に近い確率で、自分のことをダメだと思っている感じがする。自分に攻撃をしちゃってる。そういう人たちを相手に話す時、僕は結構ぶっちゃけます。「あなたはそんなすごい人なんですか?僕はしょうもない人ですよ」って。しょうもないヤツ、つまり僕は無能な人間なんです、って。
失敗して落ち込む人は、失敗しないが前提。だから失敗した時に落ち込む。だけど失敗するような無能なヤツは、失敗することがデフォルトなんだから、落ち込まなくていいんですよ。自分にやさしいとかやさしくないとか、自分を攻撃する前に、自分のことを結構できるヤツと思っちゃってるんですよね。自分がスゴくないといけないので、スタート時点で自分のハードルを上げちゃってる。真っ当に仕事して、良い成果を出そうとしちゃってる。あるいは自分は完璧な仕事ができて当たり前という前提。そして1回失敗しただけで落ち込んで、2回失敗すると死にたくなっちゃう。だから僕は、まずそこをずらすんです。
僕がどうして落ち込まないかというと、基本的に自分は無能という前提だから。そして無能だから、一日も練習を休んだことがない。僕にとってのそれは、毎日絵を描くということ。無能な人間でも唯一できることがあって、それが継続。その継続さえできなくなっちゃうのが、最終的に自分に文句を言う思考回路。だからそうならないために、僕は毎日絵を描いて練習するんです。
よく自己肯定感とか言うじゃないですか。でも、自己肯定感があるヤツって、はっきり言ってウザいですよね。だって自己肯定というのは、ダメな状態であっても、自分は大丈夫って肯定することですよね。そんなことはおかしいから、しなくてよい。だから大前提は、“自己無能感”。自分は無能であるというのが、自分を自分で救うということ。それはソクラテス(古代ギリシャの哲学者)以来、ずっと哲学のベースなんです。
ソクラテスはまず、自分を助けなさいと言いました。その助けた自分を、人々に見せびらかしなさい、と弟子たちに言っていくんです。そしてその時に、正直に言いなさい、すべて真実を表明しなさい、と。さらにフーコー(フランスの哲学者ミシェル・フーコー)によるパレーシア研究というのがある。パレーシアとは真実を表明する。僕も自分で研究して、それをずっと素直術と言っていたんです。その源流の源流がソクラテス先生。
自分で自分を救うことが一つの哲学のポイントで、それが本当の「救う」ということ。つまりそれは、自己への配慮。フーコーはそうやって自己への配慮を研究して、僕も躁鬱で苦しんで、自分で見つけたのがこの自己無能感。人は寂しいことにさえ素直になれない。だから無能テクと素直術を上手に使っていくと、それは喜びを見つける術に変わっていくんです。