「コレクターと呼ばれるのがすごく嫌なんです」
ここ〈ゴールドゲート〉は〈ラングラー〉のコレクションを収蔵するショールームであり、金丸力也さんの本職である内装の仕事をする際のオフィスだ。室内はヴィンテージから新作まで、とにかく〈ラングラー〉の山。冒頭の発言にドキリとさせられたが、その理由を聞き得心した。
「僕は〈ラングラー〉を集めているわけではなくただ好きなだけ。30年以上ずっと好きで買い続けて、いつの間にか大所帯になっただけでね」
〈ラングラー〉との出会いは高校時代に遡る。当時ピザ屋でバイトをしていたとき、アルバイト仲間の大学生が穿いていたデニムスタイルに憧れを抱いたことから。
「〈リーバイス®〉501を穿きつつ〈フレッドペリー〉のポロシャツの襟を立てて小洒落ている姿を見て、自分もデニムが欲しくなったんです。バイト代を握り締めて、近所の商店街にあったデニム屋さんに行ったのですが、そこにあったのは〈ラングラー〉だけ。あとで知ったのですが、そこは〈ラングラー〉の代理店だったんです(笑)。
デニムを買うこと自体が初めてだったので、薦められるまま購入しました。後日バイト先に穿いていったら大学生から“ダサい”と言われたんです。なけなしの金でやっと買ったデニムを馬鹿にされたことが悔しくて、余計に〈ラングラー〉への情が湧きました。それからは〈ラングラー〉の魅力を知りたくなって歴史の勉強を始めたのですが、知れば知るほど〈ラングラー〉愛が芽生えていきました」
〈ラングラー〉は1947年に誕生した。一般的に〈リーバイス®〉や〈リー〉と並び三大デニムブランドの一つに数えられる。だがほかの2ブランドが労働者から支持されていたのに対し、〈ラングラー〉は世界で初めてデザイナーズジーンズを発売したり、田舎のカウボーイから絶大な支持を獲得していたことなど、成り立ちとしては異色だ。
「以前カウボーイのイベントに行ったとき、そこに来ていた人がほぼ100%〈ラングラー〉を穿いていたんです。それまでは自分の知る限り、アメリカのデニムといえば〈リーバイス®〉という印象が強かったので、あの光景を見たときは感動しました。
また、ある日旅番組を見ていたら、タレントがロデオ会場を訪れてカウボーイに会うというシーンがあったんです。そのときにカウボーイから“何でお前は男なのに〈ラングラー〉を穿かないんだ?”って訊(き)かれていて。ある一定の地域に住むアメリカ人の中では、〈ラングラー〉が男の象徴的なものであることを知って、グッときました(笑)」
並のコレクターであれば、自分で着用できるものや投資的価値のあるものだけを収集するが、金丸さんはそうではない。サイズもコンディションもバラバラ。購入する基準は“自分が気に入ったもの”。
「同年代の同じモデルもいっぱいあります。でも作られた工程や僕の元に届くまでのストーリーは個体によって違いますし、品番が同じでも色落ちや表情も違う。またユーズドであれば、例えば土色っぽい色落ちのデニムを見たときに“カウボーイが穿いていたんだろうな”とか、想像することがすごく好きなんです」
そんな金丸さんにとって〈ラングラー〉はどんな存在なのか訊くと「家族です」ときっぱり。
「例えばファッションでいうと若い頃はみんな色んなブランドに対して“Like”な気持ちだと思うんです。たくさんのブランドを好きになって、さまざまな着こなしにチャレンジする。それがLike。でもそのうちLikeの中から自分なりのこだわりやテーマが生まれて一つのブランドだけを着るようになる。それはもうLikeではなく“Love”なんです。
Loveを続けてやがて成熟し、その先に“家族”がある。だから僕にとって〈ラングラー〉は家族。いくらお金が欲しいからって、家族は売らないでしょ?(笑)もちろん僕もLikeの時期は、DCブームも経験して〈ポール・スミス〉や〈アニエスベー〉も通ってきましたし、飽きたら売ったりもしていました。でも〈ラングラー〉だけは30年以上、ずっと変わらずに好きなんです」
業界では知らない人はいない押しも押されもせぬ世界一のコレクター。だが「世界一かどうかなんてどうでもいいです」と、一笑に付しつつ。
「ただ、僕が世界一〈ラングラー〉を愛していることだけは間違いありません。これまでは僕の愛情表現は〈ラングラー〉を買って所有することでしたが、これからは集まったアーカイブを、イベントや展示会などを通じてお見せすることで、〈ラングラー〉の魅力を世間に広めていきたいです。特にファッションを志す若い人たちにとっては、すごく刺激になると思いますので、ぜひ実際に手にとっていただきたいです。何なら着てもらっても全然OK」
これほど貴重なものに触れるにはかなり勇気が必要だが、金丸さんは意に介さない。
「白い手袋をつけるコレクターとかいますが、僕はそういうことはしません。家族に触るとき手袋をしますか?絶対しないでしょう。特にうちの家族は1940~80年代のアメリカで生き残ったタフな精鋭ですから、そんなに弱くありません(笑)」