Learn

Learn

学ぶ

四天王寺を見守り続ける。日本最古の建築会社〈金剛組〉木内繁男が語る宮大工の仕事と道具

昔と変わらぬ姿を今に残す日本の伝統建築。それを約1,400年間、陰で支え続けてきた宮大工集団がいる。神社仏閣の建築・改修を専門に行う日本最古の建築会社〈金剛組〉だ。飛鳥時代から伝承されてきた名工の技と、その道具。彼らの手仕事こそ、日本が世界に誇る宝だ。

photo: Masaru Tatsuki / text: Keiichiro Miyata

美しい手仕事を修得しなければ
機械も使いこなせない

推古天皇元年(593年)に建立された和宗総本山 四天王寺。それを請け負った宮大工が、金剛重光。現・金剛組の創設者である。戦乱や災害を幾度もくぐり抜け、壊滅的な被害を受けるたび、宮大工の手により復興を果たしてきた。今も立派に金堂と五重塔が聳え立つ事実が〈金剛組〉の確かな技術を証明している。父親から2代にわたり四天王寺を見守り続ける木内繁男棟梁は、いつ訪れるかわからない補修に向け備えを怠らない。

「まずは刃物を研ぐところから一日が始まります。これは53年間、変わらない習慣です。どの世界も同じだと思いますが、手入れの行き届いた道具でないと、いい仕事ができない。例えば、鉋。刃と台が一対という考えで、必ずベストな相性があります。さらに言えば、鉋と、それを研ぐ砥石も一対。大工道具は、すべてが夫婦のような関係で成り立っているのです。砥石が硬すぎると、なかなか刃がつかない(刃が砥げない)。刃を台に仕込む時の角度も重要で、堅い木ほど、角度を立て(急にする)、軟らかい木ほど寝かせる。樫の木、黒檀といった極端に堅い木は、部材に対してほぼ垂直に刃を立てる。このような細かなことから、釿、墨壺、槍鉋といった宮大工特有の道具の使い方を一から覚えていき、すべて最低限使いこなせるまでに5年ほど。そこで、やっと宮大工としてのスタートラインを切ることができる」

一般的な大工と違い、独自の伝統道具に囲まれた宮大工の仕事場。それを幼少期から見てきたという。

「遊び場といえば父の働く金剛組の加工場でした。物心つく頃には、いつかは宮大工の道に進むんだろう、と。そして18歳で弟子入り。初めは、真っすぐ鑿を打つのもひと苦労で、棟梁から曲がっているとよく怒られてね。おそらく、それは1分(約3㎜)程度のこと。そのまま柱を突っ込むと家が傾くぞと脅されたりもしました。厳しい道に足を踏み入れてしまったな、と。ただ、必死に向き合って、鉋だけは褒められるまでになってね。私みたいなタイプは決して珍しくありません。すべてが得意という職人は、むしろ稀なこと。まずは、いずれかの分野のプロフェッショナルを目指して切磋琢磨する。そこに時間と熱を注ぐ。先の長い世界です」と若き日の苦労を語るが、今では手仕事に加えて、機械を使うことも増えてきたという。

「当然のことですが、時代の流れで、今は機械を使うこともあります。もちろん手抜きではなく、作業を効率的に進めるうえでベストな選択だから。ただ、美しい手仕事を知らなければ、いくら機械を使っても良い仕事はできません。機械を操るうえでも伝統の技の習得は必須です。先ほど話した鉋一つとっても、まずは刃の調整ができなければ、電気鉋のセッティングができるはずもない。この先、さらに時代が進化しても宮大工の知識や技術の伝承は決して途絶えさせてはいけないと感じます」

「最も技術を有するのが、文化財の修復です。建築当時の状態と寸分違わず復元するのが原則になります。前の建物が槍鉋で仕上げられていたなら、違うやり方に逃げられない。たとえ、日本の神社仏閣では稀な技法だったとしても、それをきちんと身につけておかなければ、いざという時に太刀打ちできません。特に、江戸時代以前の建物は、ほぼ設計図は残っていない。文化財の先生と一緒に建物を見て話し合いながら復元する方法を導かなければなりません。そのためには、膨大な知識と経験の蓄積が必要となります。頭では理解していても、実践で学ぶことがほとんど。例えば、加工した木は表面から水分が抜けていきます。

そうすると、当然、縮んで割れてしまう。それを防ぐために、完成時に死角になる部分を割る“背割れ”をしておくのが基本です。1ヵ所に割れを集中させることで、いつまでも建物の美しさを保つことができる。ほかにも、竣工してすぐはきれいな無垢の木の色をしていても徐々に色が変わり、それが景観に馴染むかまで考えて素材を選ばなければなりません。設計士の図面はあくまで完成予定を記したもの。瓦の重さや風雪の影響など、屋根の表情を左右する茅負の反りを決める時には2〜3年後に沈むことも計算して、図面よりも5〜10㎝上げてつくっておく必要がある、とかね」

土地の風土まで考慮に入れた“読み”は経験がモノを言うのだ。

「毎年1月11日に、我々の原点である和宗総本山 四天王寺で、仕事の安全を祈願する“ちょんな始め式”を執り行います。様式や伝統を重んじる宮大工の仕事を改めて認識する、飛鳥時代から続く大事な儀式なのです。伝統の建築物をこれから100年、1000年先に残すために、匠の極みをさらに目指さなければなりません」

建物の顔となる屋根の反りを確かめる木内棟梁
設計図を基に部材の原寸図を引く“原寸場”。広さはバスケットコート約3面分。建物の顔となる屋根の反りを確かめる木内棟梁。

宮大工の仕事

「見えるところは丁寧に。見えないところは、さらに美しく」と受け継がれてきた〈金剛組〉の誇りと、日本古来の木造建築の技術。そこに自らの経験を上積みして、匠の極みを目指す男たち。

宮大工の道具

弟子入りから53年間休まずに手入れをしてきたという木内棟梁の大工道具。一部買い替えたものを除けば、まさにいぶし銀の美しさ。伝統建築と常に向き合う緊張感と実直な姿勢が、そこに表れている。

〈金剛組〉木内繁男棟梁。宮大工の道具
〈金剛組〉木内繁男棟梁。宮大工の道具 イラスト

1.鉋。古い鉄ほど、軟らかくて地金に適しているとされる。明治に建設された兵庫県余部鉄橋の廃材を再利用したものや、名工“千代鶴”が仕上げたものなど、主に3種類を使い分ける。
2.墨壺。木材の切断や切削の目安となる線を引くために、絹糸を巻き付けた車輪と硯が一体になったつくり。それぞれ先代と〈木内組〉の元職人から譲り受けた昭和初期のもの。
3.南京鉋。手の届きにくい桶のような曲面を削るためにハンドルが付いた独特な形状。写真のものは木内棟梁の自作。自分の手に馴染みやすい大工道具を一からつくることもあるという。
4.台直し鉋。木材同様、湿気によって歪んでしまう鉋の台を平らに削るために用いられる“道具のための道具”。そのため、ほかの鉋よりも小型になっている。

〈金剛組〉木内繁男棟梁。宮大工の道具
〈金剛組〉木内繁男棟梁。宮大工の道具 イラスト

1.鉋。古い鉄ほど、軟らかくて地金に適しているとされる。明治に建設された兵庫県余部鉄橋の廃材を再利用したものや、名工“千代鶴”が仕上げたものなど、主に3種類を使い分ける。
2.墨壺。木材の切断や切削の目安となる線を引くために、絹糸を巻き付けた車輪と硯が一体になったつくり。それぞれ先代と〈木内組〉の元職人から譲り受けた昭和初期のもの。
3.南京鉋。手の届きにくい桶のような曲面を削るためにハンドルが付いた独特な形状。写真のものは木内棟梁の自作。自分の手に馴染みやすい大工道具を一からつくることもあるという。
4.台直し鉋。木材同様、湿気によって歪んでしまう鉋の台を平らに削るために用いられる“道具のための道具”。そのため、ほかの鉋よりも小型になっている。

〈金剛組〉木内繁男棟梁