雑誌愛溢れる、ウェス・アンダーソンの新作
起きてしまったことはしようがない、過去を変えることなどできないのだから。であるからして、人生においてなるべく後悔を減らして暮らしたいと思って生きているのですが、そう簡単にできるわけではなく、日々小さい後悔をたくさん積み重ねているのだけれど、最近の中で最大の後悔をする出来事があった。
ウェス・アンダーソンの新作『フレンチ・ディスパッチ』の試写会でのこと。あれは2018年の初夏のことだった。
その年は一緒に作った『犬ヶ島』の公開があるということで、1月からベルリン映画祭だ、サウスバイサウスウェストでのスクリーニングだ、ニューヨークのメトロポリタン美術館でのプレミアに、パリでのオープニングと世界中に駆り出された。
5月にはウェスが来日し、半月ほど一緒に旅行したりしていたので自分の仕事が溜まりに溜まっていた。やべえなぁ、とボヤいているときにウェスから連絡が来た。
「7月にいつものようにローマン(・コッポラ)やジェイソン(・シュワルツマン)たちとイタリアに集まって次作の脚本を練るからクンもおいで。船で航海しながら2週間。楽しいよ」。それは断るにはあまりにも魅力的な話だったが、こっちには手つかずの仕事が山のように残っていたし、バンコクで友達が始めるバーの設計のデッドラインは7月末だった。
それでも恐る恐る設計のパートナーにちょっとイタリア行ってもいいかな?2週間ばかりと聞いてみた。「へぇ、バンコクの物件やるのにイタリア行くの?それってもちろん内装絡みの仕事でってことだよね。じゃないと終わらないよ、クンが持ってきた仕事なのに」。
泣く泣くイタリア行きを断念したのだけれど、俺には嫌な予感があった。それはこの次作がとんでもない傑作になってしまうのではないかという。そしてその予感は完全に当たった。『フレンチ・ディスパッチ』は傑作で、そしてその仕事に関わる機会を、俺は自ら手放したのだ。
『フレンチ・ディスパッチ』は雑誌の『ニューヨーカー』を愛しているウェスが雑誌を舞台に作った映画。思い返せば、初めてウェスのニューヨークの自宅に遊びに行ったとき、本棚一面を整然と埋め尽くすティファニーブルーのような色をしたバインダー群があった。
「これ一体何?」と聞くとそれは70年代からだか忘れたけれど、とにかく何十年分の『ニューヨーカー』のバックナンバーがすべて揃っていた。
テキサスで生まれ育ったウェスは『ニューヨーカー』を読みながら、都会暮らしを夢想する少年だったのだ。いつかそんな映画をやるのかなとは思っていたけれど、来日中のホテルで原案をカリカリ書き出し始めていたものがまさかそれだったとは。
撮影がちょうど始まる前の秋、パリでウェスとご飯を食べた。大学の同級生にして、初期のウェスの映画に出演するだけでなく脚本も一緒にやっていた相棒オーウェン・ウィルソンが久しぶりにでるということで彼も一緒だった。
『犬ヶ島』は人形を使ったストップモーションだったのだが、あの作り方を実写に持ち込むということをテキサス訛りのオーウェンと話していた。
街の中にセットを作り、俳優を自由に動かすのだと。そいつはなんとも無茶なやり方だとは思ったけれど、ウェスならやりかねないなと思っていた。「おいでよ、おいでよ、セットのあるフランスに。何かしらクンがやることを用意するよ」。
仕事に追われ、返事を引っ張っているうちに撮影は終わり、そうこうしているうちにコロナですべての移動は停止した。
本当だったら20年のカンヌで発表されるはずだった『フレンチ・ディスパッチ』。
観た感想は、まぁとにかく、こう来たか?と思わずにはいられない傑作。とにかく銭出してみる価値はありまっせ。