意外なことに「元々、大の釣り好きではなかった」と話す加藤さんと添野さん。ブランドをはじめる前まで渓流釣りとは無縁だったふたりを惹きつけたのは、渓流ならではの見立て(仮説)と検証のプロセスだったという。
「渓流では、刻々と変化する自然を観察してどこに魚がいるか考えなければいけない。そもそも渓流にたどり着くまでの入渓ひとつとっても、等高線を見ながら悪戦苦闘したり。当然、最初はまったく釣れなくて。そもそもどういう川に魚がいるのかから考えはじめました。例えば、川の上流にはダムがあって、既に人間の手が入った川に魚は寄りつかないんじゃないかとか」(添野)
「僕は釣りが嫌いだったくらい(笑)。これ、なんの意味があるんだろうって。その気持ちを変えてくれたのが渓流だった。僕たちのやり方として、最初に調べることはせずまずはフィールドに出向くんです。まったく知識のない状態から自分たちなりに一つひとつ考え、仮説を立てて検証する。釣れたらもちろん嬉しいけれど、むしろそこに至るプロセスにこそおもしろみを感じています」(加藤)
当初は、一般的なカーボンロッドを使っていたそう。ふたりが違和感を覚えたのは、仮説検証を繰り返してようやく少しずつ釣れるようになってきた頃だった。
「小ぶりな渓流魚に対して高性能なロッドを使うと、魚が食いついたあとパッと釣り上がってしまう。あっけなく勝敗がついてしまうというか。それで、この一匹を釣るために何度も仮説検証を繰り返してきたのに、味気なさすぎる!と(笑)。本当は魚と対等、もしくは少し負けているくらいが一番おもしろいんじゃないかと思って、道具を探したけれど見つからなかった。当たり前ですよね。現代の釣り具の多くは、いかに魚に勝つかという視点で強化されているもの。そうした経験が和竿に着目するきっかけになりました」(添野)
狩猟や漁業という成り立ちを持つ釣りは、一般的に「より多く」「より大きく」という視点で語られることが多かった。釣り具も然り。いかに魚に負けることなく効率的に釣り上げるか。そんな性能を追求した道具と釣りのスタイルには「趣がない」とふたりは言う。
「僕たちにとって“文化的な釣り”というのが大切なテーマ。日本では、江戸時代以降に狩猟から趣味の領域に広がった経緯があって、そもそも釣りをレジャーや文化的なものと認識しているのは、世界のなかでもヨーロッパやアメリカ、日本くらい。先日マレーシアの方と話していたら、釣り=狩猟でそれ以上でも以下でもないと。釣るという行為にそれ以上の何かを見出す。その感覚や考え方が好きなんです」(添野)
「僕たちの“味気ない”という感覚には、時代性もあると思っていて。昔は豊かな自然環境のもと魚もたくさん釣れていたけれど、今は釣り場も魚の数も減っている。そのなかでどうやって1匹の魚と出会うか、その瞬間をより特別な体験にできるかということが大事になっていく。僕たちは、時代ごとに自然との付き合い方をアップデートしていく必要があると考えていて、道具を変えることでこれまで見えていなかったことに気がつくことがあるんじゃないか」(加藤)
自由な発想から生まれる、負け気味の釣り味
まず考えたのが、魚と1対1でやり合える竿というコンセプト。和竿職人に幾度となく掛け合い最初に作った一本は、これまでなかった、竹竿にガイドやリールが装着された全く新しいハイブリッドなルアーロッドだった。
「最初はなかなか理解してもらえなかったけれど、僕たちも必死に勉強しながら職人さんと一緒にプロトタイプを作っていきました。渓流ではじめて試したときは、これまで以上にヒリヒリしたし、魚との掛け合いを純粋に楽しめた。竿の力で魚に勝つのではなく、対話するような感覚。僕たちの仮説検証や魚に出会うまでのプロセスがきちんと消化された感じがして嬉しかったですね」(加藤)
竹の和竿づくりは実に100を超える工程があり、収穫した竹が一本の竿になるまでにはおよそ5年以上の年月が必要だそう。〈WAZAO-IPPON〉が掲げる「負け気味の釣り味」には、独特の粘り気を持つ布袋竹がフィットする。しかし、近年は竿として使える竹そのものを見つけることすら困難になっている状況があるという。
「今、一番課題に感じているのが、竹を取り巻くサプライチェーン。和竿をつくるための竹林が管理されておらず、育成体制もない。昔は竹山を管理している業者さんがいたけれど、そういう人もいなくなってしまった今、もはや自分たちで山を買うところから考えるしか道はないんじゃないかって。作りたいものを作り続けるために、現代の技術を取り入れてシステム化された竹ファームのようなものができたらと思っています」(加藤)
文化に思いを馳せる媒体としての釣り
「僕たちは、そもそも和竿を知らない世代。だから、伝統や昔ながらの素材だからという意識はまったくなくて、むしろ新しい素材として向き合っている。これまでの和竿ではあり得ないような仕様やデザインに挑戦することで和竿を知ってもらえれば、職人さんに還元することもできる。結果として伝統を守っていくことにも繋がると思っていて。それに、僕自身が天然素材から生まれた和竿を媒体として自然とのつながり方を学んでいる。『和竿の心』と題されたこんな言葉があるんです。
『和竿は決して魚を獲るための道具ではありません。釣りに詩情を求める人にとって、その媒体として欠かせないものなのです』
実は、これはある和竿職人さんの工房でずっと受け継がれてきた言葉。今は、工業化の中でゲームとしての勝ち負けの要素が強くなってしまったけれど、本来、釣りにはこうした精神性が宿っていた。なので、僕たちがやっていることは元々あった価値観に気づき直しただけであって、それは先人の知恵でもあるんです」(添野)
「僕たちは釣り具をメディアだと思っていて。文化的なものに想いを馳せたり、知るためのツールであってほしい。いつも自問自答して思うのは、釣りという行為そのものより、釣りを取り巻く自然環境や文化、先人の考え方に触れ合っている時間に価値を見出しているということ」(加藤)
「簡単に結果が出てきてしまう世の中だから、それがつまらなくて。釣れるという結論を急がず、自分でトライ&エラーを繰り返してみる。その過程こそおもしろいし、豊かなことだと思う。和竿を通してそんな体験を共有していきたいですね」(添野)