マイルス・デイヴィス(トランペット奏者)
時計の装いが物語る「ジャズの帝王」の歴史
マイルス・デイヴィスは音楽性の変遷とともに衣装を変え、〈ジャガー・ルクルト〉や〈ロレックス〉など腕時計にもその都度変化が見られた。写真は、1969年、パリのサル・プレイエルでの公演の様子。その腕元には〈ブライトリング〉のナビタイマー(Ref.806)が。
シャツスタイルの際にはストラップをレザーのリストバンドに付け替えるなど、独自のアレンジを施すこともあった。完璧な自己演出を求めたマイルスらしい装いだ。

©Roger-Viollet/Aflo
パブロ・ピカソ(画家)
トレードマークの時計でセルフプロデュース
約15万点の作品を残した、「世界で最も多作な美術家」といわれるパブロ・ピカソ。生涯にわたり作風は大きく変化したが、常に時代の先端に立ち続けられたのはセルフプロデュース力の賜物だといわれる。
常に写真家をそばに置き、生活を記録させていた彼には多くのポートレートが残されている。長きにわたり腕にあったのが〈ジャガー・ルクルト〉のトリプルカレンダー。トレードマークの腕時計もまた、戦略だったのかしれない。

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ポール・ニューマン(俳優)
レーシングキャリアを支えた名優、生涯の“相棒”
〈ロレックス〉のコスモグラフ デイトナ、通称「ポール・ニューマン・デイトナ」。これはポール・ニューマンが愛用したことからついた名だ。
映画『レーサー』の撮影時に妻からこの時計を贈られたニューマンは、その後モータースポーツに傾倒し、プロレーサーとしてデビューするまでに。平均速度を計測するタキメーターを搭載するコスモグラフ デイトナは、レーサーと俳優、二足のわらじを履く彼の生涯の相棒となった。

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ル・コルビュジエ(建築家)
時計装飾から始まったデザインと建築の道
ル・コルビュジエはスイスの時計産業の中心であるラ・ショー・ド・フォンで、時計装飾職人の父と音楽教師の母の下に誕生した。
13歳で美術学校に進学すると、父の背を追って時計装飾を学び、博覧会で入賞するなど高い評価を得たが、強度の弱視のため時計職人の夢を断念。教師だったレプラトニエに建築の才能を見出されたことで建築家としての人生を歩むことになる。写真は1953年のもの。その腕には〈ロンジン〉と思(おぼ)しき時計。

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アンディ・ウォーホル(芸術家)
ポップアートの巨人の腕元には時を刻まない時計があった
アンディ・ウォーホルの左腕にはいつも〈カルティエ〉のタンクがあった。愛したのは18Kイエローゴールド製のタンク ルイ カルティエ。
機能美を追求したミニマルなフォルムとエレガントな佇まいが融合した一本は、ウォーホルにとって「ただ時間を計る道具」を超えた存在だった。そのことは時計を止めたまま着用していたという逸話からもよくわかる。ファッションとアートとしての時計、それが彼にとってのタンクだったのだ。

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