ポップで幻想的な香港映画の名作が
鮮やかな映像で蘇る
より鮮明になる曖昧
カーウァイの作品は、発表からずいぶん経った今でも、デジタルリマスター版になったり、未だに単館系の映画館で上映されたりと、息長く愛され続けている。ファンとしてはうれしい限りだが、ちょっとぼやけてるぐらいの方がカーウァイ作品の撮影手法には合ってるんじゃないかと、技術の発展に従いピントが合い視力が良くなっていく現象に少しハラハラした。
でも映像が4Kでキレイになっても、作品にかかる霧みたいなものは相変わらず立ち込めていて安心した。時代と共にくっきり鮮明になっていく画質とは裏腹に、カーウァイ映画のあらすじや主張は、何回も観れば観るほど曖昧模糊とした印象になる。無粋な説明は消え去り、ただムードだけが残る。“気分”を味わいたいときに観ると意外なほど伝染性が濃い。
カーウァイの作品群、特に『花様年華』のような密度の濃い恋愛模様が描かれる作品での湿度は半端でない。普通恋愛真っ最中なら、好きな相手だけがキラキラ輝いていて思わず注視してしまうものだが、『花様年華』ではヒロインや主人公の男性だけではなく、時代の記憶や恋のムードにも強烈にスポットが当たっている。この瞬間を瞼の裏に焼きつけておきたい、と念じる気迫が、シーンごとに宿っている。
クリストファー・ドイル撮影の妙技で、まるで生まれた先から思い出に変わってくように画面がモヤってるから凝視できなくて、上手く正体が掴み切れないからこそ鮮度が保たれ続ける。女性とその夫たちが小狭い部屋で麻雀をする、そんなささやかな場面にとんでもない濃密な上質の色香を立ち上らせ、不倫の萌芽が生まれる悩ましさを、チャイナドレス姿の女性の後ろ姿の曲線美で伝える。
本作品の独特なほろ苦さは、不倫する側ではなく不倫される側の戸惑いや思い切れなさを描いているところにあり、ロマンスに走りきれない善良な性格が一般人ぽくて妙にリアルだ。
『恋する惑星』を観ていると、主人公を演じるフェイ・ウォンが可愛すぎて、とても魅力的なのに恋に素直になれなかったり、ライバルに焼きもちを焼いたりしてる姿を観ていると、主題歌の「夢中人」のメロディーに乗せられて、一癖ある少年のような少女に心が乗り移っていく。途中片想いの相手の家に忍び込み掃除までしてしまうというストーカーちっくな彼女の行動さえ「全然アリ!掃除のためにゴム手袋を手にはめるの可愛い」と許容してしまう。
本作品には大型雑貨店LoFtの黄色いショッピングバッグがさりげなく登場するのだが、異常なほど色々こだわって映画を撮るというカーウァイ監督の作品にかぎって、テキトーな袋で間に合わせたわけでもなさそうなので、当時の香港でのLoFtのおしゃれな立ち位置についても考えたりする。
『ブエノスアイレス』で私が好きなアイテムは、主人公二人の同棲部屋に貼ってある、古めかしくも耽美な柄の壁紙だ。所々破れた妙な幾何学模様とずんぐりした色の花模様の壁紙の内側で、互いに愛し合ってるのにケンカしがちなカップルが、戸惑いながら同棲している。
この二人が暮らすブエノスアイレスのアパート、部屋の醸し出す退廃的な美しさは唯一無二で、今回4K版を観直すにあたり、内装を改めてよく観察したが、トニー・レオンとレスリー・チャンという主役の二人の色気と哀愁をぴったり中に封じ込める隙の無さに、偶然ではなく微に入り細をうがって作り込むことで独特の雰囲気が生まれてるんだなと感じた。
誰かを愛してもその人に追いつけないやりきれなさ。愛してるのに暴れまわる自我を抑えきれず、相手を傷つけてしまう性。レスリーは本作品の撮影時にお腹を壊してひどい下痢だったらしい。気の毒な話だが、慣れない外国での過酷なロケも、この作品の少しやつれた雰囲気に一役買ってる気がする。
『ブエノスアイレス』を観ていると、流れる雰囲気が大人すぎて青春映画とは思えないけれど、改めて観直すとやはりこれは青春を、しかも青春の終わりの方を描いている作品ではないかと感じた。体当たりで人とぶつかったときに生まれる繊細な翳は、内省する柔らかな魂にしか宿らない気がする。
次世代の監督にも大きな影響を残した本作品の影響力は果てしなく、小説を書く私にも乾く前のセメントを押した指の跡のように余韻を残して消えない。何回観るねん状態になっている。
カーウァイの作品群からは“時代を越えても何度でも甦るぜ、I’ll be back!”といった力強さよりは、糸の切れた執着の無さや儚さを感じるのだが、“この名作を時の狭間には埋もれさせないぜ!”というファンの情熱は今でもビシビシ感じる。その執念が4Kレストアの実現に結びついたのだとしたら、また新たにカーウァイ作品の虜になる観客はこの先さらに増えるのではないだろうか。