原爆の図 丸木美術館(埼玉/東松山市)
30年以上かけて描いた原爆の光景
《原爆の図》は、画家の丸木位里・俊夫妻によって描かれた全15部から成る連作絵画。夫妻は、原爆投下直後に夫・位里の故郷・広島に入り、1ヵ月ほど瓦礫の中で救護活動をした。その後東京に戻ってもその光景が忘れられず、32年をかけて連作《原爆の図》を描く。
この美術館では、長崎原爆資料館にある第15部を除く14部が常設展示される。本作では、縦1.8×横7.2mの大画面の中に、ほぼ等身大の大きさで人物が描かれる。迫り来るような風景に圧倒されるだろう。

広島平和記念資料館(広島/広島市)
被爆の惨状を示し、次世代につなぐ
1945年8月6日8時15分、広島に人類史上初めて原爆が投下された。49年には早くも「原爆参考資料陳列室」が設置され、原爆被災資料の公開が始まった。爆心地付近を整備して54年に開園した平和記念公園内に、翌年資料館本館が開館。
穏やかな広島の街並みが一瞬にして灰燼(かいじん)に帰すさまを映すプロジェクションマッピングや、原爆投下の瞬間の人影を残した建物の断片、被爆者たちのその後の姿など、原爆の威力と甚大かつ長期的な被害を伝え、平和の大切さを訴える。

回天記念館(山口/周南市)
隊員たちの思いを継ぎ「平和」を願う
人間魚雷「回天」とは、太平洋戦争の末期に「天を回(めぐ)らし戦局を逆転させる」という願いを込めて誕生した特攻兵器である。全長14.75m、胴体の直径は1mで1人乗り。先端部分には1.55トンの炸薬を装備し、目標に命中すれば大型艦船でも一発で沈めることが可能と言われていた。
搭乗員となったのは20歳前後の若者だ。この館には、戦死した搭乗員の遺書・遺品、手紙、軍服など、およそ1,300点を所蔵しており、約300点を展示。回天の歴史から平和を考えたい。

長崎原爆資料館(長崎/長崎市)
原爆の脅威と平和の大切さを伝える
1945年8月9日11時2分。長崎に原爆が投下され、約15万人の死傷者が出た。同館では、「1945年8月9日」「原爆による被害」「核兵器のない世界」などのテーマに沿って、資料、写真、解説パネルが展示されている。
原爆投下で時が止まったままの《11:02の時計》に始まり、原爆で破壊された建物の一部を移設展示。実際に長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」の実物大の模型も展示され、その大きさに圧倒される。当時の状況を等身大で体験し、戦争を考えよう。

知覧特攻平和会館(鹿児島/南九州市)
戦争と命の重さに思いを馳せる
航空特攻作戦とは、重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈める、命を懸けた作戦だ。基地は沖縄や台湾等に22ヵ所あったが、知覧は本土の最南端にあり出撃数が最も多い。全特攻戦死者1,036名のうち、439名、全体の半数近くが知覧基地から出撃している。
館では、若き特攻隊員の遺影をはじめ、戦闘機の「隼」や「疾風」、軍服、遺書等の資料約6,000点、生き残った隊員の証言映像等で特攻の歴史を辿る。語り部による講和(時間制)あり。


ひめゆり平和祈念資料館(沖縄/糸満市)
10代の女子生徒たちの戦争体験を知る
太平洋戦争末期の沖縄戦では、10代の生徒たちも戦場に動員された。「ひめゆり学徒隊」とは、看護要員として日本軍の病院に動員された沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒・教師240人のこと。戦場で136人が死亡した。
資料館は1989年に、ひめゆり同窓会によってひめゆりの塔敷地内に設立された。写真や実物資料、イラスト、証言映像などを通して、ひめゆりの戦争体験を伝えている。特に生存者の証言映像は必見。ひめゆりの塔と併せて訪れたい。

沖縄県平和祈念資料館(沖縄/糸満市)
沖縄戦という凄惨な事実に目を向ける
沖縄戦とは、第二次世界大戦末期の沖縄県民を総動員した最大の地上戦であり、日米両軍の戦死者よりも一般住民の犠牲者が上回っているのが特徴だ。住民が体験した沖縄戦の実相を後世に伝えるため1975年に開館。
2階の常設展示では、沖縄戦へ至るまでの歴史や沖縄戦の戦闘経緯、地獄と化した戦場の様子や体験者の証言。そして、戦後の米国統治と日本復帰運動が歴史に沿って紹介されており、沖縄と戦争、その後現在も続く問題についてを深く知り考えることができる。

戦没画学生慰霊美術館 無言館(長野/上田市)
若き画学生たちの作品に込められた魂
長野県上田市で夭折(ようせつ)画家たちの作品を展示する〈信濃デッサン館〉(現在閉館)を経営していた窪島誠一郎が、出征経験を持つ画家・野見山暁治と全国の戦没画学生の遺族の元を訪れ、遺作を収集し、1997年に設立した。
展示されるのは芸術の道を歩みながらも戦争により志半ばで亡くなってしまった画学生たちの作品だ。現在140人、900点の作品を収蔵。2024年6月には共同館主に内田也哉子が就任。画面から溢れ出る、絵を描きたいという純粋な気持ちを受け止めたい。

