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テレビプロデューサー・上出遼平が歩きながら考える

「歩く」ことと「考える」ことの親和性の高さは周知の事実だが、歩くフィールドが山になることは、考える行為に何かしら影響を及ぼすものなのだろうか。様々な形で山と関わってきた上出遼平が、歩きながら考え、辿り着いた真理とは。

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photo: Mina Soma / text: Ikuko Hyodo

楽しさと怖さ、表裏一体の緊張感が細胞を活性化させる

先月、文芸誌『群像』で連載していた初めての小説『歩山録』が最終回を迎えた、上出遼平さん。一人の男が1週間の山行をする物語だ。

「山をテーマにしたかったというより、仕事以外だと山歩きくらいしかしていないので。半分はノンフィクションといえる小説です」

舞台となっている奥多摩は、子供の頃から慣れ親しんできた山だ。

「家族旅行は大抵、山でした。キャンプをして、拾った木をナイフで削ったり、おこした火をずっと見ていたり、釣った魚を焼いて食べたり。あのとき醸成された喜びのセンサーみたいなものは、僕の中で生き続けています。半面、夜にカブトムシを採りに行ったときに味わった、真っ暗な山のゾッとする怖さもこびりついている。今の山との触れ合い方も、そうした感覚の延長にあります」

高校生の頃には一人で山に入るようになるのだが、征服の対象でないことは当時から一貫している。つまり、登頂を目指すことにも、スタンプラリーのように百名山を巡ることにも、まったく興味がない。

「どうしたら自然と親密になれるかに、重きを置いています。なるべく長く山の中で過ごしたいけれど、同じところにとどまっていると飽きるので、歩き続けるんです。ジャンルで言えば、ロングトレイルですね」

都会で過ごす時間が長く続くと、体と心が無性に山を求めるように。

「山の中に身を置くと、日常では一部しか使っていない脳みそが活性化される気がします。なので“行きたい”というより“行かないと”って気持ちになる。山はきちんと頭を使い続ければ、いろんなリスクを事前につぶしていけるんです。だけど頭が止まった瞬間、巨大なリスクに囲まれる。その恐怖感が、細胞を隅々まで活性化してくれるんでしょうね」

時間が許せば3、4日、長いときは1週間以上かけて山を歩く。しかし正直なところ、歩いている最中に楽しさを感じることはほぼない。

「一番楽しいのは予定を決めて、どんな装備で行くか想像しているとき。実際に歩き始めたら、30分後にはしんどくなって、なんでこんな辛いことしてるんだろうと延々と思ってます。でも山から下りて食う肉とかビールは、最高に旨い。思い出すのも嫌になるくらい、世界中のどんなものよりも旨いですから」

帰り道、バスや電車に揺られながら、山中での緊張がほぐれていく過程も、たまらなく好きだという。

「都会の電線は邪魔な存在でしかないけど、下山して電線が見えた瞬間、泣きそうになります。この先にあったかい家やシャワーがあることを実感できて、尊く思えるんです。山は都会で暮らしているだけでは見えないものの見方ができるし、自分の内側にも視点が向くんですよね」

普段から仕事のアイデアを考えたり、頭の中を整理したいときは、街をひたすら歩くか、走るかしている。『ハイパーハードボイルドグルメリポート』の企画も、ジョギングしているときにふと思い浮かんだ。

「散歩のときは、仕事で抱えているいろんな宿題のうち、3つくらいをピックアップするんです。すると、一つの宿題を考えているときに、なぜか別の宿題の答えがぽんと出てきたりする。たぶん歩くという反復運動によって、意識と無意識の切り替えが頻繁に行われて、意図しない接続が生まれるんでしょうね」

危険と隣り合わせの山歩きは、集中力が求められるため、街ほどほかのことを考える余裕が意外とない。

「それでもロングトレイルをやっていると、3日目頃にトランス状態になることがあって、ずっと引っかかっていた悩みの糸口が見えたりするんです。そういうときは宿題にしていた自覚もないくらい、無意識のところから浮かんでくるんですよね」

歩き続けなければ辿り着けない境地が、山にはいくつもあるようだ。

テレビプロデューサー・上出遼平