2010年代に生まれた「ヴェイパーウェイヴ」とは、資本主義経済の繁栄を謳歌していた過去をノスタルジックに、かつ批評的に表現する、インターネット発の音楽ジャンルのこと。過去の映像や音源のサンプリングによって、奇妙な郷愁をもたらす。
そんな表現方法に影響を受けつつホラー的に再解釈するのが、テレビ東京のプロデューサー・大森時生さんと映像クリエイターのFranz K Endoさんだ。お笑いコンビ・Aマッソの単独ライブ『滑稽』や、教養番組を装ったサスペンスフルな『SIX HACK』といったコンテンツを手がけるこのコンビは、何より“不気味”な表現が秀逸だ──。
大森時生
Endoさんと初めてご一緒したのは『滑稽』の時でしたね。『MADドラえもん』などを拝見していて、Endoさんのトリップ感ある映像表現が欲しいなと思ってお願いしました。初めて会った時も、オランダのアーティスト、猫 シ Corpなど、ヴェイパーウェイヴの話題で盛り上がりましたよね。
Franz K Endo
僕は根っからの懐古厨なので、ヴェイパーウェイヴ的な懐かしい表現が好きなんですよ。過去の思い出に浸り続けて、未来を諦める感覚にシンパシーを抱いているというか。
大森
でも、ヴェイパーウェイヴって、失われた華やかな過去を懐かしむ一方で、郷愁に浸る行為に対して批判的でもある。その両義性が魅力です。ところが今のテレビには無批判にノスタルジーを垂れ流す表現が多い。昭和世代の懐かしVTRを、Z世代が観て驚くという番組がいっぱいあって視聴率も高いんです。
作り手と視聴者が共犯して、過去に憩う状況に、僕は『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』を思い出すんですよね。もちろんこれは、ホラー映画という訳ではないんですが。
Endo
あぁ、たしかに。
大森
『オトナ帝国〜』は「昔はよかった」と過去にしがみつく大人の不気味さを描いた先進的な作品です。でも今では、みんなが当たり前に過去を懐かしみ、安心感すら得ているんですよね。
Endo
現実の奇怪さが、ホラー的な表現に追いついてしまったと、たしかにゾッとします。そういえば僕はユートピア的な光景も怖いなと感じるんです。例えば、テーマパークのパレード。「みんな幸せだよね」という単一の価値観をキラキラ彩って、観客全員がうっとりする。その状況を客観的に見た時、不気味だなと思ってしまいます。
大森
なるほど。映画『パプリカ』のパレードシーンは、その恐怖感をアニメーションならではの表現でグロテスクに見せた作品でしたね。
Endo
一つの価値観に大勢の人が没入して、負の要素が全くないように装う。そういう作られた純粋な世界が僕は心底怖いんです。
大森
その意味で僕はかりそめの安心感を壊す番組を作りたいんです。『このテープもってないですか?』では、懐かし映像を振り返ると不穏な現象が起こります。そういうやり方でノスタルジーを求める感情をくじくつもりでした。
予定調和を逸脱した表現が不安定な現実を露出させる
大森
ヴェイパーウェイヴ的な「感覚」について話してきましたが、「手法」についても話したくて。Endoさんって映像制作を「煮込む」と言いますよね。普通の創作は起承転結に合わせてコース料理を提供する感覚だと思うんですが、Endoさんは素材をごった煮にする。そこがヴェイパーウェイヴのサンプリング手法とも通じる部分だなと。
Endo
そうですね。もちろんレシピもあるんですけど、必ず途中で崩壊して、鍋料理のつもりが、カツカレーができる(笑)。
大森
原点には『イエロー・サブマリン』があるんですよね。
Endo
子供の頃、父親が食卓でヘビロテしてたんで、あの世界観は刷り込まれてますね。
大森
例えば、『SIX HACK』のエンディングもそうですが、Endoさんの映像って我々の脳内の現象の再現だと感じます。頭の中では非論理的で文脈なしにいろんな思考が連鎖していくじゃないですか。Endoさんの作品はあの現象を映像にしているから、観てると不安になるのかな、と。
Endo
なるほど。でも、僕の映像って「怖い」とか「不穏だ」って言われるんですけど、自分ではその意味がわからないんですよ。自分にとっては普通の感覚が、ほかの人にとっては不気味というのがちょっと切なくもあるというか。僕はただ面白がってほしいだけで、別に深い考えとかないんですよ。
大森
むしろその作為性のなさが怖いのかもしれない(笑)。
Endo
漠然としたゴールだけ決めて、あとは要素をどんどん足して最後に煮詰める感じですね。
大森
そのセオリーから外れたEndoさんの表現方法を、テレビというメディアで見せることが大事だと思うんです。逸脱した映像表現で、視聴者の安心感に揺さぶりをかけるというか。現実は常に不安定だから、それを忘れることの方がよっぽど怖いと僕は思います。